木洩れ日


「フュリーさん、お願いです!ボクに槍術を教えてください!!」
思わずそう叫んで頭を下げていた。

一人熱心に槍の鍛錬に励んでいたところにたまたま出くわした。
それが彼女だったのはまったくの偶然……いや、今思えば必然だったのかもしれない。
その槍捌きが本当に見事で思わず見とれてしまい、我に返った直後の行動だった。
一度は断られた気がする。
けれどそれはわたしが子供だったからとか、面倒だからだとかではなかったはずだ。
「そんな…人に教えられるほどじゃないわ…」
そう、確か。ややうつむいて、少し戸惑いがちに呟いた。
確かな実力を持ちながら、奢るどころかあくまで控えめで。
そんなところにますます惹かれ、わたしは熱心に頼みこんだ。
結局、彼女は応えてくれた。少しはにかんだような笑顔で。

「…そう、手の位置はもっと下の方が動きがとりやすいと思うわ」

「オイフェさん、疲れたでしょう?少し休みましょう。
わたし、お茶をいれてくるからそこにかけていて」

「すごい!前よりずっと良くなっているわ!オイフェさんは飲み込み早いわね、
わたしなんか練習してもなかなか上手くならなくて、いつも騎士団のみんなに
バカにされていたのよ」

彼女はいつも懇切丁寧に指導してくれた。常に気を使ってくれた。
見習だったわたしを一人前の騎士として扱ってくれた。

いつの頃からか、稽古の時間が待ち遠しくなっていた。
槍を持つ手に白くしなやかな手が触れるたび、
長い若草色の髪がふわりと風に流れるたび、
控えめな微笑みを見るたび、
鼓動が早打ち、顔が熱くなった。
今思えば、あれは恋というものだったのだろう。
もっとも、その時のわたしにはまだそれがわからなかったのだが。


「じゃあ、今日はこのぐらいにするか」
分厚い書物をとじ、それを片手に立ち上がった彼に、わたしはいつものように頭を下げた。
「ありがとうございました、ノイッシュさん!」
彼はシグルド様に仕える騎士の一人だった。
戦争がはじまってからも日々鍛錬を欠かさず、己の技に磨きをかけていたその一方で、
わたしに騎士の心得をはじめ勉強を教えてくれたりもした。
「オイフェは物覚えがいいから、教え甲斐があるな」
「いえ、ノイッシュさんが分かりやすく教えてくださるからです」
「こら、子供が謙遜なんかするんじゃない」
彼はわたしの頭に大きな手を置いて笑った。
生真面目さと暖かさを併せ持つ彼を、わたしは幼い頃から兄のように慕っていたものだ。
「ボクも早く、シグルド様やノイッシュさんのような立派な騎士になりたいです!」
その時わたしは、素直に自分の気持ちを言葉にしただけだった。
しかし、急に彼は顔を曇らせ、わたしから視線をそらした。
「ノイッシュさん…?」
「…オイフェ。確かにシグルド様は素晴らしい方だ。あの方を目指すならば間違いは無い。
…だが、わたしには…お前にそんな風に思われる資格は無いんだ…」
「ど…どうしてですか!?ノイッシュさんだって立派な騎士ですよ!!」
反論するわたしに、彼は少し困ったように笑って静かに首を振った。
そしてしばらく押し黙った後、ためらいがちに口を開いた。
「既に想い人がいる女性に惹かれるような人間など、騎士失格だろう?」
「…!?」
その言葉の意味がすぐには理解できなかったのは、わたしがまだ子供だったから
というだけではない。騎士道精神が人一倍強く、見習い時代も正式な騎士となってからも
シグルド様に忠義の限りを尽くしていた彼は、同性のわたしから見ても端正と思える
容姿を持ちながら、おおよそ色恋沙汰には縁のない印象があったのだ。
「え…あの…ノイッシュさん、好きな人が…いるんですか?」
「いや、もうこの話は止めよう。つまらないことを言って悪かった」
ようやく理解したわたしが尋ねると、彼は慌てて話を打ち切ろうとしたが、
気になって仕方が無かったわたしはなおも追求せずにはいられなかった。
そして、"想い人がいる女性"として思いついた人物の名を口にしていた。
「えっと…エスリン様か、ディアドラ様…!?」
「な!?」
彼は素っ頓狂な声をあげた。
予想が的中したのかと思ったが、どうやらそうではなかったらしい。
「何故そうなるんだ!?」
「いえ、その…既に想い人がいるって言うから…」
「違う、断じて違う!!大体、彼女たちは既に結婚されているじゃないか!」
慌てて否定する彼の様子は、真実を言い当てられて動揺しているというより、
本当に見当違いな誤解をされて心外だとでもいいたげだった。
「え?結婚してる人を好きになってしまったんじゃ…?」
「おい待て、誰もそんなことは言ってないだろう!」
わたしは勘違いにようやく気づき、慌てて思い当たる別の女性を頭の中で探した。
「あ!エーディン様ですか!?アゼル公子と恋仲の…」
「だから、そうじゃない!その…名前は教えられないが…別に"彼女"は…
その想い人と結ばれているというわけじゃないんだ」
「え…」
それなら。
―――何故?
「だが…」
「じゃあ、いいじゃないですか!」
わたしは、思わず叫んでいた。
「!?」
「その…不倫とか、横恋慕とかは、あまりよくないと思います…
けど、そうじゃないならそんな風に考えること無いです!!
ノイッシュさんは、あの…カッコイイし、人間的にも魅力的なんですから、
絶対その人が好きな人に負けるはず無いですよ!!」
恋だの愛だのを語るには当時のわたしはあまりにも幼かったはずだが、
本当の心から出た言葉だったから、彼の胸にも届いたのだろう。
彼はしばらく、少し驚いたような顔をしてわたしを見ていたが、
やがて見開いていたその目を細め、微笑んだ。
「…ありがとう、オイフェ」


「ねぇ…オイフェさん。変なこと聞いていい?」
いつものように槍の稽古を終えた後、彼女がためらいがちに尋ねてきた。
「あのね、…ノイッシュさんて、どういうものが好きなのかしら?」
「え?どういうものって…食べ物なら好き嫌いは特にないと思いますけど、
どうかしたんですか?」
「いえ、あの、別にどうもしないんだけど…ノイッシュさんにはいつもお世話になってるし、
何かお礼ができたらな、って思っただけなの。オイフェさんならノイッシュさんのこと、
よく知ってるでしょ?それで…」
彼女が彼の名を出したことには特に疑問も無かった。
彼はシグルド様、彼女はシレジアのレヴィン王子と、仕える主君は違えど二人は共に
主君に忠実な騎士で、また、共に生真面目な性質を持っているなど、どことなく
似通った点が多かった。そんな二人が戦いの中で共に行動している姿もよく見かけていた。
あの時まで気づけなかったのは―――わたしが、まだ幼かったからなのか。
わたしは、二人を共に慕っていたからなのか。
いや、そんなことは今となってはどうでもいいことだ。


「ちょっと、アレク!ノイッシュとフュリーが付き合ってるってホントなの!?」
「なんだシルヴィア、知らなかったのか?まぁ、オレも正直驚いたけどな…
あいつの気持ちは知ってたが、まさか告白に至るとは思わなかったぜ」
「それよりもオドロキなのは、フュリーがオッケーしたってことよ!だってフュリー、
口には出さなかったけどどー見てもレヴィンのこと好きだったでしょ!?あのコ一途な
タイプだし、不器用だし、好きでもない相手に告白されて付き合えるとは思えないわ…」
「ってことは…フュリーもいつのまにかノイッシュの方に惹かれてたってわけだな。
フュリーのレヴィン王子への想いを覆すたぁ、ノイッシュめ…女性にはとことん
不器用な奴だと思っていたが、意外とやるじゃねぇか」
踊り子の少女と、その恋人、"彼"の親友である騎士の会話。
盗み聞きするつもりは無かったが、たまたま通りかかってそれを耳にしたわたしは
しばしその場を動くことができなかった。
その時になって、ようやく全てを理解したのだ。

彼が想いを寄せていた相手が誰だったのかということも。
彼女は仕える主君に忠誠心以上の感情を抱いていたのだということも。
けれどその感情は彼によって塗り変えられたのだということも。

その日の夜は、胸の痛みに眠れなかったのをよく覚えている。
だが、その痛みが長引くことは無かった。
二人は一緒になって剣や槍の稽古に付き合ってくれたり、勉強を教えてくれたりするようになった。
それは今までの何倍も、幸せな時間となった。
互いをいたわり合い、互いに微笑みを交わす仲むつまじい二人を間近で見ていると、
わたしの胸は甘い喜びで満たされた。
この二人でよかった。
彼が彼女と、彼女が彼と結ばれて本当に良かった。
心の底からそう思えた―――


「オイフェさん…?」
重く、永く。けれど瞬く間に月日は流れた。
「オイフェさん!オイフェさんたら!!何ぼーっとしてるんですか?」
「ん…?ああ、フィー。すまない、少し昔を思い出していたんだ」
わたしは傍らで兵法の本を広げてこちらを見上げる少女に、しばし精神を過去に
旅立たせていたことを詫びた。少女は少し不満げに頬を膨らませたが、
すぐにまた大きく澄んだ瞳をまっすぐにこちらに向けてきた。
「じゃ、早く続きを教えてください♪」
そう言われて頷いたものの、一度蘇った過去の思い出は簡単には消えてはくれなかった。
真剣に書物に向かう少女の横顔に、彼と彼女の顔が重なって見えた。


―――両親が共に持っていた生真面目さは全部兄の方に受け継がれたのだと、
いつかフィーは笑って話してくれました。確かに、活発で威勢が良く、思ったことをすぐ
口にするこの少女があなた方のご息女だと思うと何か不思議な気がするときもあります。
けれど、騎士道精神が強く、勇敢で、そして時折根の真面目さや純粋さを覗かせる度、
やはりこの娘はあなた方の血を引いているのだということを実感するのです。

もしわたしが今、フィーに惹かれていることを知ったら。
あなた方はどんな顔をしますか?

驚きに目を見開くのでしょうか?
笑って受け入れてくれるのでしょうか?
大事な娘は渡せないと、怒るのでしょうか?
少し照れくさそうに、祝福してくれるのでしょうか?―――


こみ上げてきたものを振り払うように、わたしは窓の外を見た。
2階にあるこの部屋に届く木を覆った鮮やかな緑の葉に、
昼下がりの優しい金色の光が降り注いでいた。
それはあたかも、寄り添う彼と彼女のようで。

涙と同時に、笑みがこぼれた。


ノイフュリのラブラブ話を書くぞ!と意気込んだのに、あまりラブくない上に何故かオイフェさん視点に(笑)
二人の結末にあえて触れていないのは、あまり暗い話にしたくなかったから…というか書いたら
わたしがヘコむからです(涙)オイフェさんは既にフィーやセティから聞いて知ってること前提です。

オイフェとフィーの恋人会話で、オイフェが「フュリー殿には随分お世話になった…」なんて言ってたので
ってことはやっぱり戦闘訓練とかにつきあってもらってたのかなぁとか思いまして。そして、実はフュリーに恋心を
抱いていた時期があったりなんかしたら面白いかもとか、オイフェとノイッシュは昔から親交があったわけだし、
ノイフュリ前提のオイフェ×フィーって結構オイシイんでない!?とか、色々と妄想が広がってきましてねぇ。

しかし、この話で成立してるノイッシュ×フュリー、オイフェ×フィー、
アレク×シルヴィア、アゼル×エーディン(←名前だけしか出てないけど)
…どれも『会話はあるけど王道からは外れている』カップルばかりですね(笑)

(06/2/25)

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