草むらが揺れた。
 最初に母親が気付いた。とっさに自分の娘に覆いかぶさる。
 現われたモンスター、さまようよろいの剣は母親の右腕に決して浅くない傷をつけた。
「うっ・・・・あ・・・」
 うめき声を上げる。だが娘に心配をかけまいと必死にその声を噛み殺す。
「お・・・お母さん・・」
 4歳になる娘は二つの恐怖、目の前の異形の者に殺されるかもしれない、という恐怖と母親を失うかもしれない、という恐怖に
必死に耐えていた。しかしまだ子供、体は木の葉のように震え、口からは歯と歯がぶつかり合う音が聞こえてくる。
「大丈夫・・・大丈夫だから・・・」
 母親は子供を安心させようと気休めにしか聞こえない言葉を、それでも必死に激痛をこらえながら紡ぎ出す。
しかし現実は非情。血の臭いを嗅ぎ付けたのかモンスター達がわらわらと集まってきた。
 山菜を採りに近くの山まで来た親子二人、しかしこの状況。一匹ならまだしもこれだけのモンスターに囲まれては
もはや生還の可能性など絶望的である。
 そして、最初に母親を斬りつけたさまようよろいが剣を振り上げ、そして二人に向けて振り下ろす。
 母親はまたしてもわが子に覆いかぶさる。まるでそうすることでこの世界を娘の前から消え去らせようとするかのように。
娘は母のそんな想いを本能で理解したのだろうか、呟く。
「タ、ス、ケ、テ・・・」
 叶う筈のない願い。この状況で自分達が生き残ることの出来る確率など文字通り万に一つ、いやそれ以下だろう。だが願わずには
いられない願い。
 ドシャッ、重いものが倒れる音が響く。その音に母親が振り向くとそこには真っ二つになりがらんどうの中身が見えるようになった
さまようよろいと、一振りの剣をその手に持つ少年の姿があった。
 母親は何が起こったのか分からない顔だった。そして娘はまだ幼いが故に、心に思ったことを率直に口にした。
「てんしさま・・・?」


ドラゴンクエスト3 前夜
心優しき紅き瞳の天使
(ノア=D=アークさん・作)



 娘が彼を天使と呼んだのも無理はなかった。炎のように紅く、それでいて優しく静かな輝きをたたえた双眸。艶やかな黒髪。
白磁のように白い肌。女性と見間違えるほどに美しい顔立ち。これらが相乗効果をなして、少年の姿を幻想的なまでに美しくしていた。
 少年は母親に近づくと右腕の傷口にその手をかざし、治癒の呪文を唱える。
「ベホイミ」
 すると少年の右手から淡い光が放たれ、母親の傷を瞬く間に癒してしまった。
「大丈夫ですか?」
 少年はまだ声変わりの前なのであろう美しい声でそう言い、透き通るような笑顔を見せる。
「え、ええ・・・」
「君は?」
「おにいちゃん・・てんしなの?」
 娘の方の無事を確認しようとした少年だが、この質問に困ったような笑顔を浮かべる。
「そうだよ。ただし神様と喧嘩を売る天使だけどね」
 少し調子が外れたが娘の無事も確認した少年はすくっと立ち上がると、二人に向けて言った。
「ちょっと待っていて下さいね。すぐ終わりますから」
 そして集まっていたモンスターの群れに向かって突進する。戦闘開始。だがそれは戦闘と呼んでいいものか。
あえて形容するなら、それは舞。
 魔物たちの繰り出す爪や牙の攻撃をひらりとかわし、右手に持った剣を一振り。その動作一度にして4、5匹の魔物たちが
一度にまるで紙切れのように切り裂かれていく。そしてそれを繰り返すこと数度。その場で動いている者は母親と娘、
そして少年だけとなった。要した時間、わずかに数秒。
 余りのことに唖然としている母親と娘に語りかける少年。
「さ、片付けました。近くの村の方ですね? 送って行きますよ」


 カチャカチャ、モニュモニュ、ゴクゴク・・・・
 娘と母親はまたしても唖然としていた。村に帰った後、自分たちの家は宿屋をやっていたのでせめてものお礼に、と少年に昼食を
ご馳走しようとし、また少年もそれを快諾したのだが驚くべきは少年のその食欲。彼の前に何十枚もの皿が積み上げられ、
新しく出した料理も瞬く間に空にされてしまう。母親も娘もそのハイペースにてんてこまいだ。
「ふーーっ。ご馳走様でした」
 十人前を平らげようやく満足したらしい少年、お腹をポンポンと叩いている。
「よく食べたわねー。これは今月は大赤字だわ」
 と笑いながら言う母親、娘は少年に近づいて言う。
「おにいちゃんってすごくつよいんだね。どうすればそんなにつよくなれるの?」
 その質問に少年はしばらく考えた後、ポン、と娘の頭を撫でる。
「どうすれば、か・・・」
「・・・おにいちゃん?・・おにいちゃん?」
「・・・・・・」


「ノア!! あなたどうしたの? その格好」
「グスッ、ヒック・・・・」
「・・・・・またいじめられたのね?」
「グス・・・お前の眼は血の色みたいで気持ち悪いって・・グス」
「だらしないわね。どうしてそこでやられっぱなしなの? 一発ぐらいガツーン、とやってやればいいじゃない」
「だって・・・・殴られたらあいつらだって痛いよ・・」
「優しいのね、ノアは。でも男の子なんだから・・」
「まあセレネ、そのぐらいにしてやりなさい」
「神父様・・・」
「でもノア、セレネの言う通りでもある。君だって男の子なんだから強くなくては、でも・・・いまの優しい君も、私は好きだよ。
セレネもね」
「本当? セレネ?」
「・・・ええ、本当よ。さ、中に入って怪我の手当てをしなくちゃ」
「うん」
 十年前、少年・・・ノアが4歳の時、彼は小さな村で暮らしていた。
 眼も開かない赤ん坊の時、教会の傍に捨てられていた彼をその教会の神父が引き取って育てたのである。
 ノアは臆病な子供でいつもいじめっ子に泣かされていた。でも誰よりも優しく、さっぱりとした性格で教会のシスター、セレネ
だけでなく、多くの周りの者からかわいがられ、健やかに育っていた。
 静かな暮らしだった。その村は山奥にあり、時々訪ねてくる旅人以外は本当に静かな、毎日の繰り返し。
 ノアは幸福だった。それこそ自分自身がどれほど幸福なのか気付かないほどに。こんな日々がいつまでも続けばいい。そう思っていた。
 だがその願いはある日無残にも打ち砕かれた。

「ノア!! 早く隠れるのよ!!」
 血相を変えてセレネが入ってきた。ノアが今まで見たことの無いぐらい真剣な表情で。
「セレネ・・何が・・・」
 慌てるノア。セレネはそんなノアの手を引くと彼を納屋に連れて行った。
「あなたはここに隠れてなさい。絶対に外に出てはだめよ」
「何が・・・・セレネ・・・・!」
「野盗の群れ・・・・戦に破れて行く当てを失った兵士たちの成れの果てが村を・・」
 セレネの言葉に今まで感じたことの無い恐怖を感じたノア。そして生まれた一つの疑問。それを口に出す。
「ねえ・・・セレネ・・・大丈夫だよね・・? また・・・今まで通り暮らせるよね・・?」
 その問いに微笑んで答えるセレネ。
「大丈夫・・・大丈夫だから・・・」
 そして彼女は外へ出て行ってしまった。一人でも多くの人を助けなければと。

 隠れたノアは両手で耳を塞ぎ、震えていた。
聞こえてくるのだ。多くの人の断末魔の叫び、馬蹄の音。男達の耳障りな笑い声。
(やめて!! こんなの・・・やだよ・・・!! 聞きたくないよ!!)
 心の中で悲痛な叫び声をあげながらただ震えるノア。その時、
 バン!!
 乱暴にドアが開かれた。セレネか? と思い、叫びそうになるが言葉が出てこない。体の中のどこかで分かっていた。
ドアを開けて入ってきた時から、その人物がセレネでないと。
「何だここには誰もいないのか・・・」
 予感の通り入ってきたのは野盗の一人。その男は納屋を見渡す。
 あと少しで見つかる。そんな思いがノアの頭をよぎり、幼い心が恐怖に侵食される。
(コワイコワイコワイコワイ。シヌシヌシヌシヌシヌシヌ。シニタクナイシニタクナイシニタクナイ。タスケテタスケテタスケテタスケテ
タスケテタスケテ)
 もう正常な思考回路などまったく働いていない。
 怖い、叫びたい。でも叫んだら死ぬ。殺される。そんな思いだけで必死に口を押さえ耐えるノア。
 やがて男は、
「早く行かないと俺の取り分がなくなっちまうな」
 と、外に出て行ってしまった。だがノアがそれに気付くことはなかった。彼は極度の恐怖に気を失っていたから。

「嘘・・冗談だよ・・・ね・・・」
 何時間か後、意識を取り戻したノア、もう外には何の気配も感じなかった。そこで意を決して、僅かな希望を持って外に出た彼の見たものはそれを一切否定するような光景だった。
 殺しつくされた村人達、破壊しつくされ、焼き払われた家屋。
 変わり果てた村の中を、まるで夢遊病者のような足取りで歩くノア。
「う・・・う・・」
 聞こえてきた声にはっと振り向くと、そこにはセレネが倒れていた。駆け寄るノア。
「セレネッ!!!」
 彼女を抱き起こし涙声で叫ぶノア。セレネはその声に反応し、ゆっくりと彼に眼を向ける。
「ああ・・・ノア・・・よかった・・・あなたが無事で・・・」
 彼女は息も絶え絶えで、今にも消え入りそうな声で、しかし優しく微笑んで語りかけた。
「ごめんね・・・大丈夫って言ったのに・・・私・・・もう・・・だめみたい・・・」
「え・・?」
 今のノアはその言葉を理解するのに数秒の時間を必要とした。理解することを拒んでいたのかも知れない。そして、
「そんな!! 嘘だろ!? セレネ・・・大丈夫って・・・それに・・・」
 ノアは泣いていた。涙が頬を伝い、セレネの顔に落ちる。セレネはゆっくりと右手を動かしノアの顔を撫でる。
「ノア・・・・」
「え・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」
「セレネ・・・?」
「・・・」
「セレネェェェェェェーーーーーッ」

 三日後、ノアはあれから三日間かけて村人全員の分の墓を作った。比較的無事な遺体もそうでないものも全て。そのために彼の手は
ボロボロに傷ついていた。
 そして今、ノアは手に持っていた花を目の前の墓、セレネの墓に供える。それが彼に出来るせめてもの供養だった。
「セレネ・・・僕は・・・これからどうすればいいの・・?」
 墓の前で泣き崩れるノア。そしてその右手が焼け跡にあった包丁を掴んだ。そしてその包丁を逆手に持ち、自分の胸に向ける。
「そうだよ・・寂しいよ・・・僕も・・・そっちへ行っていい・? セレネ・・・」
 その包丁を自分の胸へ、だが包丁が彼の胸を貫くことはなかった。いつの間にか傍に立っていた男が彼の手を掴んで止めていたのだ。
「やめろ・・・」
「あなたは・・・?」

 その男は戦士だった。彼はノアを引き取り育て、ノアの「強くなりたい」という願いを聞き入れ、ノアに剣術や武術、
様々なことを教えた。
 ノアも次第にその男に心を開くようになり、次第に笑顔を見せるようにもなった。
 毎日が苛烈な修行の繰り返し。ノアはそれに必死に喰らいついていった。
 そして6年の月日が流れ、ノアは10歳になっていた。

「ノア、よくぞ今日まで私の修行に耐えた・・・私がお前に教えることはもう何も無い。手足が伸びきる頃にはもうお前に敵う者は
誰一人としておらぬだろう。お前は今日卒業だ」
「はい」
「だが、その前に一つ聞かせてくれ、この6年の間、一度も聞いたことが無かったが・・・お前は何のために強くなりたかったのだ?」
「・・・・・・・」
「復讐のためか? お前から全てを奪った人間への・・」
 その問いにノアは顔を上げ、まっすぐに師の眼を見て答える。
「そうです。僕の望みは復讐です。ただしその相手は人間ではなく神、ですが」
「神に復讐・・・? どういうことだ、詳しく話せ」
「はい、僕も最初は人に復讐することを考えて強さを求めました。でも・・・それを考える度に、セレネの・・
最後の言葉を思い出すんです」

 ・・・人を・・・この世界を憎まないで・・・あなたは・・・優しいままのノアでいて・・・お願い・・・・・

「・・・・・」
「僕も、それは無理だって思いました。こんなことをされて、どうして人間を憎まずにいられるんだって・・・でも・・先生の下で
修行してる間、僕なりにいろいろ考えて・・・思ったんです、人に復讐するって事は、僕の手で、僕が味わったのと同じ悲しみを
幾つも幾つも作り出してしまうことなんだって」
「そうだな・・・そうかもしれん」
「だから・・・僕は・・・あの時セレネや村の人達が死ななければならなかったのが運命だと言うのなら、その運命にだって、
神様が定めた運命にだって打ち勝てるぐらい強くなりたい、そう思ったんです」
「強いな・・・お前は。本当に強い」
 だがノアはその言葉に首を振る。
「僕なんてちっとも強くありませんよ。ただ・・・僕には、一度もそう呼ぶことは出来なかったけれど、母さんが・・・セレネが
いてくれたから・・・確かなぬくもりを僕にくれたから・・・僕はそのぬくもりを今も忘れてません。
でも・・・僕が人への復讐に走ったら、そのぬくもりをもう二度と思い出すことが出来なくなりそうで、
それが怖かっただけかもしれません」
「・・・・・」
「もう僕と同じ悲しみを味わう人を・・・ぬくもりをなくす人を増やしたくない。それが今の僕の強さを求める理由です」
「そうか・・・・」
 師はノアの回答に満足げに頷くと、傍らに置いてあった剣をノアに差し出した。
「卒業の祝いだ。受け取れ」
 その申し出に困惑するノア。
「え・・・でも・・」
 そんなノアの手を取って剣を渡す。その剣はズシッ、と重く感じた。
「どうやら・・お前は私を超えたようだ。私はお前と出会えた事を誇りに思う。だからこの剣をお前に託す。
お前との繋がりにしたい。受け取ってくれるな・・・?」
「・・・・はいっ!」


「おにいちゃん? どうしたの?」
「ああ、なんでもない、ちょっと昔のことを思い出してただけだよ」
 娘の声に我に返ったノア。慌てて立ち上がる。
「さて、そろそろ行こうかな」
 そう言って傍らに置いてあった剣を腰に差し荷物を持ち上げるノア。すると母親が声をかけてきた。
「あんたこれから何処へ行くんだい?」
「さあ? 当てのある旅じゃありませんし」
「そうかい・・・そういえばアリアハンってところで今度旅に出ることになった勇者オルテガの息子の仲間を募集しているって話を
聞いたけど、あんたほどの腕があるなら行ってみたらどうだい?」
「へえ・・あの勇者オルテガの・・・面白そうだね・・」
 ノアは興味をそそられたらしく、楽しそうな笑みを浮かべる。
「行ってみるかな。アリアハン」
 そう言って出口へ向かう。しかし娘に呼び止められた。
「待って、おにいちゃん」
 振り向くノア。
「これ・・・」
 娘が取り出したのは折り紙で作られた花。彼女と目線が合うようにしゃがんだノアはその眼を瞬かせる。
「僕に・・?」
「うん、たすけてくれてありがとう」
 微笑んでその花を受け取るノア。受け取った花を胸に差す。
「お嬢ちゃん、名前は?」
「え、私? 私はセレネっていうの」
「・・・・・・・!」
「どうしたの? おにいちゃん?」
「いや、なんでもない・・・セレネ、僕の名はノアっていうんだ」
そう言って立ち上がり、セレネの頭を撫でる。
「セレネ、お母さんを大切にしてあげるんだよ」
「うん!!」
 力強く頷くセレネ。ノアはにっこりと笑うと背を向けて宿屋を出た。
「どうもありがとう。達者でね」
「ノアおにいちゃーん、げんきでねー」
 二人の見送りの言葉にノアは背を向けたまま手を振って応えた。
 セレネと母親は彼の姿が見えなくなるまで手を振っていた。


 そして村を出て、ノアは一人自嘲気味に呟く。
「まだまだ未熟だね。僕も」
 そして彼は歩き続ける。今よりもっと強くなるために。一人でも多くの力弱き人を助けるために。
 歩き続けた。


 この後、ノアはアリアハンのルイーダの酒場にて勇者オルテガの息子、カインと出会い、彼の仲間の一人として、世界のために
その剣を捧げることとなるのだが・・・

まだそれは先の話・・・・・




To Be Continued to DRAGON QUEST V


ノア=D=アークさんのオリキャラ、戦士ノアの過去話です。切ないですが…でもノアの心の強さに感動です!
優しさゆえの強さというやつですね、うんうん…(ほろり)

(04/7/20)

戻る