天上の光



屋上駐車場への自動ドアが開き、一歩外に出ると、すっかり深くなった秋の風に
頬を撫でられた。肌寒さを感じながらも、空一面を覆う少し紅く染まった
曇の切れ間から射す光の幻想的な美しさに、碧は思わず心を奪われる。
「綺麗…」
ぽつり呟くと、フェンスまで歩み寄り、空に見入った。

「…どうかした?」
車に先ほどこのデパートで買い込んだ大量の荷物を詰め込んでから、進が碧の隣に立つ。
碧は視線を空に向けたままで答えた。
「ほら、雲の間から、光が射してるでしょ?」
「あ、うん、たまに見るけど…」
「ああいう現象を、“天使の梯子(はしご)”って言うんですって」
「へぇ、そうなんだ。なんだかロマンチックだね」
進は相槌を打つと、碧に倣って“天使の梯子”を見つめた。なるほど確かに、天使が
光に沿って真っ白な羽をはばたかせながら上って行くのが見える気がしてくる。
最初に言い出した人はよほど感受性に優れた人だったのだろう…
進は心の中で名前も顔も知らないその誰かを称賛した。

そして「天使」「羽」という言葉を思い浮かべたことで、ふと、碧が初対面の相手に
自分の苗字を説明する際によく口にしていた決まり文句を思い出した。

「天に羽と書いて、何故か“あそう”」

その読みと漢字の組み合わせは確かにかなり独特で、耳で聞いて正しい漢字を
思い浮かべる人も、字を見て正しい読み方を口にする人も、まずいない。
だから最初に自ら説明しておくのだと、碧は苦笑しながら話していたことがあった。

「…わたしね」
回想モードに入っていた進の意識を、碧の呟きが引き戻した。
「天羽って苗字…嫌いじゃなかったんだ」
それは傍から見れば唐突な発言だったが、進が先ほどまで考えていたことと繋がっていた。
碧も自分と同じような思考を巡らせていたのだと、進は理解した。
「確かに子供の頃なんかは、ちゃんと読んでもらえないのが悔しくて、いちいち説明しなきゃ
いけないのが煩わしくて、なんでこんな苗字なんだろうって、不満に思ってたわ。…でもね、
何回も口にしてるうちに…いつの間にか、誇り…みたいなものを感じるようになってたの」
ちょっと大袈裟だけどね、と碧ははにかんだように笑って付け加えた。
「分かるよ。漢字も読み方も綺麗だしね」
「ありがと。…でも、もうすぐお別れね…」
碧は再び空を仰ぐと、瞳に少し寂しげな影を宿した。
「……ごめん」

もうすぐ、碧は“天羽”ではなくなる。
その理由は―――

「ちょっとやだ、何謝ってるのよ?」
「だって、ぼくのせいだから。君が“天羽”じゃなくなるの…」
「あのねぇ…」
碧は苦笑して、進に向きなおった。
「確かにちょっとは寂しく思うけど、そんなことで揺らぐぐらいなら受けたりしないわよ、プロポーズ」
まっすぐな視線で、見上げてくる。進は、顔に血が上るのを感じて思わず目をそらした。
「あ…いや…」
「でも、本当に驚いたわ。まさか進の方からあんなこと言ってくるなんて、ね」
「え、どういうこと?」
「だって、告白だってファーストキスだって、わたしの方からだったじゃない」
「そっ、それは……って、告白は一応、ぼくからってことにならない?ほら、
あの時、星原さんに『天羽さんは好きですか?』って質問されて、『好きだ』
って答えたろ?あの場に君もいたわけだし…」
「却下よ。あれはわたしにでなく、百合に対して言った言葉ですもの」
「う…」
言葉に詰まる進に、碧は思わず吹き出してしまう。
「ふふっ…ごめんなさい。進がやる時はやる人だってこと、ちゃんと知ってるわ。
…ありがとう、進。わたし、本当に嬉しいのよ。“天羽”じゃなくなる寂しさよりも
“上岡”になれる嬉しさの方が、ずっとずっと大きいの」
「碧……」
碧の、視線以上にまっすぐな言葉に、進の胸が熱くなる。進は片手を、碧の頬に添えた。
その手に碧は自分の手を重ねる。
「…これからもずっと…よろしくね、進」
「こちらこそ…碧」
進のもう片方の手が、碧の腰を引き寄せる。
自然に顔を寄せ合った二人の唇が―――静かに、重なった。




「そういえば、川鍋先輩に連絡してくれた?」
帰りの車の中、助手席に座った碧が運転中の進に問いかけた。
「ああ、うん。ビックリしてたよ。『聖遼高新聞部のベストパートナーが
人生のパートナーに!!一大スクープだぁ〜!』ってね」
進は、視線を進行方向に向けたままで笑って答える。
「ふふ、もうっ、相変わらずねぇ」
「あはは、あと『君の勇気ある決断に乾杯』とも…」
「…ちょっと、ソレどういう意味かしら?」
隣から殺気じみた空気が漂ってきて、進は額や背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
「…えっと…さ、さあ?あっ、そうだ!!」
ごまかすかのように、進は大げさな声を上げた。
「え、何?」
「“上岡”も、たまにだけど“うえおか”って読まれることがあるよ」
「?」
「だから、初対面の人に苗字の読みを方を説明できなくなって寂しかったら、
先手を打って説明してくれていいよ」
碧はしばらくの間丸くした目を瞬かせていたが、やがて吹き出した。
「―――うん、楽しみにしてる!」


「2」の発売でまたL季への愛が燃え上がり、実に8年ぶりぐらいにL季話を書いてみました〜!
…といっても、この話は「1」の天羽グッドエンド前提ですけどね。
その後大学行ってちょっと社会人やって…となると推定6,7年後ってとこでしょうか?
あーっ、上岡くんと碧ちゃんのカップル、やっぱり大好きですっ!!(暴走)

素晴らしいキスシーン挿絵は、弟・小太郎によるものです♪
久々のL季SS記念ってことで、お願いして描いてもらいました〜!うはは、たまりません(悦)

あ、一応書いておきますが、タイトルにある「天上」には、「天羽」「上岡」をひっかけております〜。

(08/9/12)


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