天使のローブ



仲間たちが寝息を立て始めたのを確認したアスルは、音を立てないようにそっと宿の部屋を
抜け出し、外に出た。その手には、青い宝石のついた一本の杖が握られていた。
「ルーラ!」
小さく、瞬間移動の呪文を唱える。次の瞬間アスルは、うっそうと茂る森の入り口に立っていた。
「エルフの隠れ里…夢見るルビーとアンさんの悲しい知らせを届けに行って以来だな…」
その時のやり切れない気持ち、そしてエルフの人間たちに対する冷たい視線を思い出し、アスルは
苦い表情で俯いたが、すぐに意を決したように顔を上げ、森の中へと足を踏み入れた。
エルフたちに見つからないように、わざと草木の生い茂る、道になっていない道を進んでいく。
そしてようやく、簡素な木造りの小屋を見つけた。入り口に掲げられた看板から、
道具屋であることが分かる。
「あそこだ…!」
アスルの、杖を握る手に力がこもる。
以前この地を訪れた時、エルフたちの扱う品々に興味を引かれ、売っているものを見せてほしいと
頼んだところ、「人間には物は売れません」とにべもなく断られてしまった。
―――でも…これがあれば…―――
アスルは杖に光る宝玉をじっと見つめ、緊張のためかごくりと喉を鳴らした。

宿した魔力で使用した者の姿を様々に変える“変化の杖”――サマンオサの人々は、この杖で国王に
化けたボストロールによって長い間苦しめられていた。そのボストロールを倒し、アスルたちが杖を
手にしたのだが、以前立ち寄ったグリンラッド地方に住む老人が欲しがっていた品であることを
思い出し、彼に譲ろうということになった。
自分たちの旅には必要のないものだから…というのが表向きの理由だが、本当は、イタズラ好きの
ランに悪用させないためという方が大きい。杖の効用を知るや、「おもしろそう〜!」と目を輝かせた
ランはすでに、モンスターに化けて仲間を驚かせたり、エレナに化けてアスルに迫ったりしたのである。
その時は、ランのイタズラだとすぐに気づいたのだが…それでも、エレナの姿で抱きつかれたことに
ドキドキしてしまった自分が情けない―――アスルは蘇った悔しさや恥ずかしさに顔を火照らせたが、
今はそんなことを考えている場合ではないと首を横に振り、再び杖に視線を戻した。

グリンラッドへ向かう途中、立ち寄った村でアスルはある防具の話を耳にした。
天使の羽根を織り込んで作られるという、希少価値の高い防具の一つである“天使のローブ”。
アスルはそれを、真っ先にエレナに装備させたいと思った。理由の一つは、聖なる力を宿し、
死の呪文から身を守るというその効能のため。そしてもう一つは…
―――はっ…だ、だからこんなこと考えてる場合じゃないんだってば!―――
アスルはまた余計な思考を巡らせてしまったことを恥じると、ゆっくりと小屋に近づいた。
天使のローブは、人間の技術で製造するのは至難の業で、多くは妖精たちによって作られ、
使われているのだという。
「ここになら、きっと置いてある…」
アスルは、確信に似たものを感じていた。前回ここを訪れた時の店主の態度を思い返せば
足取りも重くなるが…。
博識のレオンから聞いた話を思い出す。排他的な性質を持ち、他の種族(特に人間)に良い感情を
持っていない者が多いエルフだが、ホビットとだけは親交があり、互いに自分たちに足りない技術を
提供しあったり、珍しいアイテムの取引を行ったりすることもあるという。
―――それならこれで、同じエルフか、ホビットに姿を変えれば…!―――
エルフから天使のローブを売ってもらうためには、変化の杖の力に頼るしかない。
アスルは大きく息を吸い込むと、空に向かって杖を掲げた。
「…よし、やるぞ!!」
その様子を、大木の陰に潜んだ小さな二つの瞳が見守っていることには気づいていなかった。


「お願いしますっ!ここには置いてあるはずです、どうかぼくに…売ってください!!」
「何度言われても、人間に売るものなどありません。お引き取りください」
繰り返し深々と頭を下げるアスルを、道具屋の店主であるエルフの女性は一瞥しただけで背を向けた。
アスルの姿は……アスルのままだった。
「貴方たちエルフが人間を嫌っているのはわかってます。でも…魔王バラモスを倒すためには、
貴方たちの協力も必要なんです!」
「…人間は、欲の深い生き物です。妖精の力を持った品を手にすれば、それを利用して富や
権力を得ようとするでしょう。そしていずれ、より多くを求めてわたしたちをおびやかす…」
「そんなことしない!!ぼくはただ…どうしてもある人にプレゼントしたくて…」
「それと魔王討伐と、何の関係があるのですか?」
「うっ…そ、それは…その、戦いに有利になるから…」
「とにかく、お引き取りください。…貴方がアン王女の遺書と夢見るルビーを持ち帰って
くださったことには感謝しています。ですが、女王様もおっしゃっていた通り、わたしたちは
人間を好きになったわけではありません。アン王女はあの人間を本気で愛されたのかも
しれませんが、人間などに関わっていなければ、あんなことには…!」
目を伏せ、声を詰まらせる店主に、アスルはかける言葉を見つけられなかった。
店主は、言葉を探して立ち尽くすアスルをその場に残したまま、店の奥へと消えてしまった。
「…くっ…」
アスルは自分のふがいなさに唇をかみしめたが、やがて肩を落とし、大きなため息をついてから
きびすを返した。


外に出て、高い木々の間からわずかに見える星空を見上げながら、アスルはもう一度ため息をついた。
「失敗か…」
結局出番のなかった…いや、自ら出番を与えなかった変化の杖に視線を落とす。
「やっぱり、使えば良かったのかな…でも…」
「どうして、使わなかったの?」
突然、真後ろから声をかけられ、アスルは驚きのあまり「わっ」と声を上げ、勢いよく飛び退きながら
振り返った。その反応に、声をかけた本人も逆に驚いて、小さな悲鳴を漏らした。
「えっ…君は…」
「ああ、びっくりしたぁ…」
そこにいたのは、人間にしてみれば10歳前後ぐらいの、幼いエルフの少女だった。
「あ、驚かせてごめん…!大丈夫?」
アスルは少女の視線の高さまで身を屈めながら語りかける。
「うん、平気よ。ねぇ、それより…どうして変化の杖を使わなかったの?
ほしかったんでしょう、天使のローブ」
「えっ…」
少女の言葉に、アスルは再び驚いて目を見開いた。
「さっきから見ていたの、あなたのこと…最初は変化の杖で、姿を変えてお買い物するつもり
だったんでしょう?…でも、結局使わずに、ママに直接お願いした…」
「え、ママ?」
「あたしはここの娘なの。店主はママよ。…ねぇ、どうしてなの?」
少女のまっすぐな視線と質問を受け止め、アスルはしばらく口をつぐんでいたが、やがて
苦く笑いながら答えた。
「なんだかさ…君のお母さんを騙すみたいでイヤだったんだ」
今度は少女の方が驚きに目を見開く番だった。
「…人間は自分の欲のためなら、誰かを騙すことも、傷つけることも平気でするって、
ママが言ってたわ…」
「た、確かに、そういう人間も多いのは事実だけど…」
少女の悲しい言葉にアスルはばつが悪そうに視線を逸らしたが、すぐにまた向き直り、
照れたような微笑みをうかべた。
「ぼくはね、天使のローブを、ある大切な人にあげたかったんだ。でも、その人…その娘は
きっと、誰かを欺いて手に入れたものを喜んだりはしない…。その娘に心から喜んでもらえる
プレゼントにするためにも、ちゃんとぼくの姿で、許可を得て買いたかったんだ」
「……」

―――ママやみんなは、人間は恐ろしい種族だって言うけど…
本当に人間全員がそうなのかしら?―――
少女は思い出す。優しかった王女アンは、よく自分のような子供たちと遊んでくれた。
ある夜、マントに身を包んで人目を避けるように森の奥へ進むアンの姿をみつけ、驚かせようと
後を付けた。そこで少女は、今まで見たことがない程に幸せそうな笑顔を浮かべたアンの姿を
目にする。その傍らには、同じく幸せをたたえた表情で、アンに優しい眼差しを注ぎ、肩を抱く
人間の男の姿があった。

その後間もなく、アンはその人間の男と、エルフ族の宝・夢見るルビーと共に行方をくらませた。
アンの母親である女王を始め、誰もがアンは夢見るルビーをねらった人間に騙されたのだと怒り、
嘆いた。だが、少女にはどうしても、そうは思えなかった。本当に騙していたのなら、あんなに
幸せそうに笑えるはずがない―――。

それから幾年月を経て、アスルたちが夢見るルビーと共に女王に届けた、悲しい事実。
アンと人間の男は、相入れぬ種族同士の間に芽生えた愛に苦しみ、罪の意識にさいなまれ、
それでも互いへの想いを消すことができず…地底の湖に身を投げていた。
「せめて天国で一緒になります」―――夢見るルビーの傍らに、そんな書き置きを残して。
それを知った少女は数日泣きはらしたが、やがて自分の考えが間違っていなかったことを確信したのだ。

「少し待っていて」
少女は何かを決意したかのように顔を上げると、きょとんとしているアスルを残して
裏口の方から店の中へと消えていった。
しばらくして少女は、白い包みを抱えてアスルの元へ小走りに戻ってきた。
「これが天使のローブよ」
「えっ…これ…!」
アスルは包みと少女の顔を交互に見比べる。
「売ってあげる。あなたの大切な人に、着せてあげて」
「で、でも、そんなことしたら、君がお母さんに怒られるんじゃ…」
「大丈夫よ、あたしのお友達に売ったって言うわ」
「……」
先ほどの店主の態度を見るに、これ以上いくら頼んでも今の自分に売ってはくれないだろう。
そして今、この少女から買ったとして、売った相手を少女が正直に母親に打ち明ければ、
少女はどれほど責められるか…場合によっては、村を追放されてしまうかもしれない。
だが、こんな小さな子(もちろん、エルフである以上、自分よりずっと長生きしているのだろうが)
に、嘘をつかせていいのだろうか…アスルは逡巡し、押し黙った。
「あたしも、まだ人間は怖いけど…でも、あなたは悪い人じゃない気がするの。
アン様の愛した、あの人と同じように…」
少女は、少し口ごもりながら呟いた。
―――そうか…この子は…―――
アスルは、少女が周囲に強いられた感情と自分自身の感情の間で揺れ動きながらも、
自分自身の感情の方と向き合おうとしているのだと理解した。
それはきっと、少女にとってとても不安で、恐ろしいことだろう。それでも、こうして
アスルに対して心を開こうとしてくれている。
少女のその気持ちを無駄にはできない…アスルは、一度強く目をつぶり、そして改めて
目を開けると、少女に笑顔を向けた。
「分かった…お言葉に甘えて頂くよ、いくらだい?」
少女の示した額を支払い、白い包みを受け取ったアスルは、それを愛おしむように胸に抱いた。
「ありがとう…本当に、ありがとう!」
何度も頭を下げるアスルに、少女は少し顔を赤くしながら…にっこりとほほ笑んだ。


翌日。アスルはエレナが一人になったタイミングを見計らって、白い包みを手渡した。
「わぁ…アスルさん、これ…!」
包みを解いたエレナが、驚きの声を上げる。
「うん、天使のローブ。エレナにきっと似合うと思うんだ」
「で、でも、これって普通のお店には置いてないもの…ですよね?どうして…」
「売ってもらったんだ。友達の…エルフにね」
「えっ…エルフの?」
アスルは、エルフの少女にもう一度心の中で礼を言い、そして地底の湖に消えた
恋人たちのことを想った。
―――貴方たちが願った、エルフと人間の和解…それは簡単なことではないかもしれないけど、
心を通わせることのできるエルフと人間同士を、これから少しずつでも増やしていけるように…
ぼくも自分に出来ることをしていくつもりです―――

「さぁ、着てみてよ!」
「あっ、は、はい!」
アスルが促すと、エレナは丁寧に折りたたまれたローブを広げ、袖を通した。
薄桃色の柔らかな生地がふわりと揺れる。窓から射し込む朝日を受けてきらきらと光るのは、
織り込まれた天使の羽に反射しているためだろう。
金糸の刺繍が彩る袖口をつまんだ手を口元に添えながら、エレナは涙を浮かべんばかりの
感激に満ちた表情で、微笑んだ。
「…ありがとうございます、アスルさん…!」
アスルは、顔に血が上っていくのを感じながら、一方でエレナに天使のローブを贈りたいと
強く願った“もう一つの理由”を思い出していた。それは…

―――とても口には出せないけどね…―――

柔らかな笑顔、心を和ませる澄んだ声、慈愛に溢れる心…エレナの持つ全てが、
“天使”のイメージに強く重ったから―――。


天使のローブは、ゲームプレイ中、必ず一度は僧侶ちゃんに装備させてます!!
ゲームではホビットに化けて(なかなかなれないけど;)エルフ村で買い物しますが、
実際うちのアスルだったら、きっとためらうだろうなぁと思いまして…。
エルフの少女は、村に入ってすぐのところにいる女の子のつもりで書きました。
「人間と話しちゃいけなかったんだわ、ママにしかられちゃう」という言葉から、もしかすると
あの子自身は人間を心から嫌っているわけではないのではないかと思いましてね。
(場所も教えてくれますしね)ママが道具屋の店主というのはオリジナル設定です(笑)
しっかり勇僧を主張しつつ、エルフ村のイベントは色々と切ないので、少しでも救いが
欲しいなぁという思いもこめました〜。


(11/2/15)

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