青い秋
「上岡くん!」
パソコンに向かい、亀や蝸牛の方がまだマシなのではというペースで新聞記事の文章を捻出していた上岡 進の指先は、
勢いよく開いた部室のドアと自分の名を呼ぶ声によってその動きを完全に停止した。
「天羽さん…どうしたの?」
同じ新聞部の部活仲間でありクラスメイトの天羽 碧。
彼女の興奮したような声色と表情にただならぬものを感じた進は、椅子から立ち上がって碧の側に移動した。
次の瞬間、碧の細い指が進の手首を掴んだ。
「いいから来て!カメラ持って!!」
「えっ…ちょっと…!」
碧は進を引っ張るようにして早足で目的地へと向かう。
進は手首に感じる碧の指先のしなやかさに戸惑いと胸の高鳴りを感じながら歩調を合わせた。
「一体何があったのさ!?」
碧の足が止まった頃には、少し息が切れていた。進は抗議の声を上げようとしたが、
「ほら…見て…」
声を潜める碧が指した先は、校舎の壁の端。
ちょうど碧の視線くらいの高さの所にカマキリがいた。逆さになった状態で、動きを止めている。
「あっ…!」
よく見ると、その尻の周りは泡状のもので覆われていた。
「産卵中…なのか?」
カマキリは今まさに、子孫を残すための大仕事を成し遂げようとしているところだった。
カマキリの卵は見たことがあるが、生み出されている最中を目の当たりにするのは初めてだ。
しかも、進が見たことがあるものとは明らかに違う箇所があった。
「天羽さん、この卵…青いよ!?」
驚きに、思わず進の声は上ずった。
カマキリの卵というと茶やベージュのイメージだったが、今目に写るそれは晴れ渡った空のような色をしていた。
「この子はハラビロカマキリって言ってね、産みたての卵だけが鮮やかな青色なのよ。
時間が経つにつれて徐々に緑色になって、最終的には見慣れた褐色になるみたい」
カマキリと卵に視線を釘付けにしたまま、碧が解説してくれた。
「わたしも写真で見たことはあるけど、実際に見るのは初めてよ…本当に綺麗…」
碧は宝石でも見るような眼差しでうっとりと青い卵に見入っている。
碧のように虫を愛でているわけではないが、物珍しさから進も目が離せなくなっていた。
だがしばらくして自分の仕事を思い出して首に掛けた一眼レフをかまえ、何度もシャッターを切った。
それを見た碧も、祖父から譲り受けた愛用のバルナックライカでカマキリごと青い卵を収める。
「天羽さん、珍しいものを見せてくれてありがとう」
写真を撮り終えて碧に向き直った進は、自然と微笑んでいた。
「ど、どういたしまして…」
碧はその笑顔に戸惑ったように目をそらした。頬がほんのりと上気している。
「さっき見つけて…これは上岡くんにも見せなきゃって思ったのよ。珍しいのもそうだけど、上岡くん、青が好きみたいだから」
「え?ぼく、そんなこと言ったっけ?」
「ほら、最近やけに気にしてるじゃない。花壇に一輪だけ咲いてる、青い彼岸花のこと」
「いや、それは…」
別に青が好きだから気になっているわけではないと、誤解を解こうとしたが…
「彼岸花もいいけど…青い卵だって、ちょっとしたものでしょ?」
まっすぐに目を見て、秋風になびくショートボブを片手で押さえながら微笑む碧に、進の言葉も思考も停止してしまった。
「ちなみに、正確にはこれは卵鞘っていって、卵はこの中に約2、3百ぐらい入っているのよ」
「えっ、そんなに…!?すごいな、それでいつ頃かえるの?」
「この状態で越冬して…春になったら小さくて可愛いカマキリがたくさん出てくるはずよ」
碧は写真ではなく自分の目に焼き付けるように、カマキリと卵もとい卵鞘に再び視線を移した。
「…今度は、孵化するところを一緒に見たいな」
碧が呟いた言葉は小さくて進の耳には届かなかったが、実は進も同じことを考えていた。
――そういえば…「碧」という字は「あお」とも読めるよな…――
ふいにそんなことに気づいてしまう。
そして、やっぱり自分は青が好きなのかもしれないと、小さく照れ笑いを浮かべたのだった。
サイト25周年記念企画で書きました。実際、秋に家の壁でカマキリが産卵しているところを目撃したのですが、
その卵が綺麗な青だったことに驚きつつ感動しました。同時に、これは虫好きな碧ちゃんのネタに使える!と
思いましてね。ネットでカマキリの生態などをいろいろ調べました。青い彼岸花は「鬼滅の刃」よりも先に
Lの季節に登場していたことを、L季ファンとしては強く主張したいところです(笑)
秋だけどアオハルな進碧を書けて楽しかったです!互いを下の名前で呼び合うラブラブな二人も良いけど、
学生らしい苗字呼びの時期もオイシイのですv
(25/3/11)