クルトの秘密・2 

「みんな!よく聞きな」
女店主――おそらく酒場の名前になっている『ルイーダ』が彼女の名前なのでしょう――が
艶のある低い声を張り上げると、騒がしかった酒場は水を打ったように静まり返りました。
老若男女、そこに集っていた人々視線が、一斉にルイーダさんと、その隣でこわばった表情を
しているロトに一斉に注がれます。全く意に介さない様子のルイーダさんとは対照的に、
ロトはますますの緊張を色濃く表情ににじませます。
うーん、ロトにもこんな時代があったんですねぇ。
しかしその瞳には確かな強い光が宿っているのが分かりました。
「もう知ってる奴も多いだろうけど…この子はアリアハンにその人有りと言われた
勇者オルテガの一人息子さ。名前はアスル。今日16歳になって、父親の意思をついで
魔王討伐の旅に出ることになった。危険な旅になるのは間違いない。
…なにせあのオルテガが帰ってこなかったんだからね」
しんとした酒場には、あちこちからあがる息を呑む音さえもよく響きました。
ほほう、ロトの本名は"アスル"というようですな。
「それを承知でこの子についていく気がある奴は、前に出な!
別に世界を救いたいなんて正義感は必要ないよ。自分の名前を上げたいとか、
あるいはでかい顔してのさばる魔物どもをぶちのめしたいって理由だってかまやしない」
「ルイーダさん!!」
問題発言とも取れるルイーダさんの言葉を、ロト…いえ、今はまだ『アスル』ですな――
アスルさんは慌てさえぎりました。
「いいだろ?別に。アンタまだ弱っちいんだから、とりあえず強い仲間が欲しいだろ?」
「そ、それはそうですけど…これから苦楽を共にする仲間たちなんだから、中身だって大事です!」
『弱い』ことを否定できないのが悔しいのか、アスルさんは少し顔を赤くしながら反論しました。
そんなアスルさんの様子がおかしかったのでしょう、ルイーダさんはからからと笑いながら続けました。
「ま、仲間にするかどうかを決めるのはあんただから、あたしがどうこういうことじゃないけどね」
そんなやり取りをしていた2人に、近づく影がありました。
屈強な体を更に重々しい鎧で固め、腰に大剣を下げた大男です。
この姿、どうやら戦士のようですね。
早速仲間に立候補してきたのかとも思いましたが、どうやらそうではないようでした。
「は〜ん…なんだァ?ホントにガキじゃねぇか」
大男は開口一番そう言って鼻で笑い、アスルさんを見下しました。
アスルさんは少しむっとしたような顔をしていましたが反論はしませんでした。
それが面白くなかったのか、大男は更にあおるように挑戦的な口調で続けます。
「こんなよわっちそうなガキに命を預ける気にはなれねぇなぁ。お前、まさかオルテガの
息子ってだけで勇者って呼ばれていい気になってるわけじゃねぇだろうな?」
「およし、ゼーダ!!」
ルイーダさんは強い口調でゼーダという名前らしい大男を制しました。
しかし今度はアスルさんも黙ってはいませんでした。
「と、父さんは関係ない!!旅立ちを決めたのは、ぼくの意思だ!それに、今まで
何もしないでいたわけじゃない、ちゃんと剣の修行も呪文の勉強もしたんだ!!」
うーん、あの程度で腹を立てるとはまだまだ青いですなぁ。
まぁ、まだ旅立ち前では仕方ないですな。
伝説の勇者の人間くさい面を目の当たりにできたことを幸運と思うことにしましょう。
「ほ〜そうか、なら試してみるか?」
ゼーダさんは不敵な笑みを浮かべ、腰の大剣の柄に手をかけました。
なるほど、どうやらアスルさんとの手合わせが目的だったようですね。
「…それで、納得してもらえるなら」
アスルさんはどうにか冷静さを取り戻したようですが、その目には静かな闘志が
燃えているのがよく分かりました。ゆっくり、背に挿した真新しい剣に手をかけます。
「…仕方ないね。気が済むまでおやり。ただし、店を壊すんじゃないよ」
ルイーダさんは諦めたようにため息をつきました。こういう酒場では、このような
いさかいはしょっちゅうあることなのでしょう。慣れている様子です。
鋭い視線を交し合う2人を中心に、緊迫した空気が広がってゆきます…
な、なんだかわたくしも緊張してきましたぞ?

「ルイーダさーん、2階の3番テーブル、ウィスキーのボトル追加だそうです」
不意に、透き通った…高いけれど柔らかい声が静まり返った店内に響き、
張り詰めた空気が一気に緩みました。
それは2階から降りてきた、空のグラスや酒瓶を乗せたお盆を持った
少女が発したものでした。ここの従業員でしょうか?
晴れ渡った空を思わせる色の長い髪、大きなルビーに似た瞳…この姿…どこかで…?

ドクン

わたくしの血が、先ほどアスルさんを初めて見た時と同様に、
何かを訴えるように強く脈打ちました。
…それにより、わたくしは気づきました。そうです。この少女こそ、ロトの―――!

「あっ…!!」
少女は突然、血相を変えてこちらに向かってかけてきました。
まさかわたくしの正体に気づいたのかと一瞬あせりましたが、その視線はわたくしではなく、
剣を構えて対峙しているアスルさんとゼーダさんに向けられていました。
「や、やめてください!!こんなところで戦うなんて…
ルイーダさんにも他のお客さんにも迷惑がかかります!!」
少女は2人を止めようとして慌てたのでしょう。
そう、おそらく自分が上にふんだんに物を乗せたお盆を手にしていることも瞬間的に
忘れてしまったに違いありません。お盆の上に乗っていたものはバランスを崩し、
少女より一足先に2人の間に勢いよく滑り込みました。派手な音と共にグラスや
酒瓶が砕け散り、2人はその破片と飲み残しの酒の襲撃を受けてしまいました。
「うわぁ!?」
「な、なにしやがる!!」
ゼーダさんは驚いて叫びましたが、厚い鎧に身を固めていたために何事もありませんでした。
ですが、アスルさんは…おやおや、真新しい旅人の服に早速シミができてしまったようですねぇ。
「ああっ…!?す、すみません!!」
少女は大慌てです。ひとまずお盆を近くのテーブルに置くと、急いでアスルさんに
駆けより、身につけていたエプロンのポケットから白いハンカチを取り出すと、
シミを懸命にふき取り始めました。
「本当にすみません…もし落ちなかったら、洗濯させていただきますから…」
「あ、いや、そんなに気にしないでよ。それより、ぼくの方こそ…
お店の中で闘おうとして、ごめん…」
泣きそうになりながら謝る少女に、アスルさんも少し照れたように顔を赤くしながら
謝りました。先ほどまでの闘志はすっかりなりをひそめ、穏やかな表情になっています。
この少女の持つ雰囲気がそうさせたのかもしれません。
アスルさんが身動きが取れないでいる間に、ルイーダさんはてきぱきと割れた
グラスを片付けながら、少女に話しかけます。
「悪かったねエレナ、驚かせちまってさ。ここではこういうこと珍しくないんだよ。
店内での乱闘も、特に禁止しちゃいないのさ」
「え!?そうだったんですか…ごめんなさい、わたし、そうとは知らず勝手なことを…
あっ、グラスもたくさん割ってしまったし…!」
ほほう、この少女の名はエレナというようですな。
エレナさんは慌てて立ち上がり、ルイーダさんに向かって深々と頭を下げました。
「いいって、気にするこたぁないよ!禁止しちゃいないけど、店主の
立場としては店の中で暴れられることを歓迎できるわけじゃない。
なるべくなら外でやって欲しいのは確かだからね」
ルイーダさんがそう言ってチラリと横目でアスルさんとゼーダさんを見ると、
2人は決まりが悪そうに目をそらしました。ゼーダさんからは舌打ちが聞こえました。
「だから、あんたが止めてくれて助かったよ。ありがとね!なーに、グラスの1個や2個…
じゃないね、5個や10個、ここで乱闘された場合の被害に比べりゃ安いもんさ!」
エレナさんの肩をぽんと叩いて、ルイーダさんは明るく笑いました。
エレナさんはそれを聞いて、こぼれそうになっていた涙を人差し指でぬぐいながら、
少しはにかんだような微笑を浮かべました。その様子の可愛らしいこと!
うーん、わたくし、この方が祖先でなければ心を奪われていたかもしれませんなぁ。
いえ、もちろん冗談ですぞ?
わたくしとて、自分の存在がなくなってしまうような危険を冒す気は全くありませんからな。
この時代に来たこと自体、充分危険を冒しているんじゃないのかと言う方もいらっしゃる
かもしれませんが、聞こえないふりをさせていただきましょう。

それからエレナさんはハンカチを水で湿らせに行き、再び丁寧に丁寧にアスルさんの
服のシミをふき取り始めました。その甲斐あってか数分後…
「ああ、よかった…!キレイになりました!」
エレナさんの言葉どおり、アスルさんの服は元のように真新しく見えるものに戻っていました。
「本当だ!ありがとう!!ごめんね、迷惑かけて…」
「いいえ、こちらこそ新しい服を汚してしまってすみませんでした…」
2人は互いに謝った後、顔を見合わせました。
「あ…怪我してます!」
エレナさんの言葉で、わたくしも初めてアスルさんの頬から血が流れていることに気づきました。
どうやら先ほど飛び散ったグラスの破片で切ったようですね。
アスルさんは新しい手袋が汚れないようにそれを外してから、素手でその傷に触れました。
痛みに気づいたのか、その顔が少し歪みます。
「ホントだ…でも、たいしたことないよ」
手に付いた血を確認して、アスルさんは苦笑いをしましたが、エレナさんはまたしても
泣きそうな表情に戻ってしまい、深く頭を下げました。
「本当に…申し訳ありません!あの、せめて手当てをさせてください!
今、消毒薬を持ってきますから…」
「そんな、気にしないでったら。元々ぼくが悪いんだし…それに、
すぐまた怪我することになると思うしさ」
「え…どういうことですか?」
「ぼく、これから旅に出るんだ。長い…危険な旅になると思う…。
魔物たちとも闘っていかなくちゃいけないから」
それを聞いてエレナさんはますます申し訳なさを顔中に現します。
それは誰の目にも実に分かりやすく、エレナさんを元気付けるつもりだったであろう
アスルさんは自分の言葉が裏目に出たと悟って慌てたようです。
「あの、だから気にすることないんだよ!?」
「でも…これから旅立つという時に…」
エレナさんはそう呟き、しばらく何か迷っている様子でしたが、やがて顔を上げ、
アスルさんの傷口に手を伸ばしました。
そして、なにやら祝詞のような言葉を口にしました。
もっとも、聞き取れたのは最後の一言だけでしたが。
「ホイミ!」
エレナさんの手が淡い光を放ち、アスルさんの傷が見る間に塞がっていきました。
おお、これが回復呪文というものなのですな!平和なわたくしの時代にはあまり
必要の無いもので、使える人がいないわけではないですが、間近で見たのは初めてです。
「痛みが消えた…!今のは…もしかして回復呪文!」
アスルさんも驚いている様子です。もっともアスルさんの驚きは、回復呪文自体に
というよりは、自分と同じか少し年若いぐらいの少女がそれを扱ったことに対してのようですが。
「はい…母には、多少の怪我の場合呪文に頼るべきではないと言われているんですが…
怪我をしたまま旅立たれては、なんだか縁起が悪いですものね」
エレナさんはそう言ってばつが悪そうに微笑みました。
「あ、ありがとう!すごいや!ぼくなんか、剣の修行と一緒に呪文の勉強もして
知識は詰め込んだけど、結局使えるようにはならなかったんだよ」
目を輝かせるアスルさんに、エレナさんは照れたように頬を染めました。
「いえ、そんな…わたしは僧侶である母に教わりましたから…。それにわたしもまだ、
今のホイミだけしか使えないんです。何度かに一回は、失敗しちゃうし」
「へぇ、そうなんだ。でもすごいよ、君…」
言いかけてアスルさんはふと何かに気づいたようでした。
「そういえば、名前まだ聞いてなかったね。
さっきルイーダさんが言ってたけど…エレナ、だったっけ?」
「あ、はい、そうです!わたし、エレナといいます。ええと、あなたは…?」
「ぼくはアスル。改めて、ありがとう!エレナ」
2人の自己紹介を少し離れて見ていたわたくしの胸は、再び次第に高鳴りを増してきました。
そう、改めて気づいたのです。わたくしは今、目の当たりにしているのだということに。

わたくしの祖先…勇者ロトと、後にその妻となる者の"出会い"を―――


(07/2/23)


クルトの「秘密」、少しは驚いていただけたでしょうか(どきどき)
もう何年も前に設定だけは思いついていたんですが、なかなか明らかに出来ずにいたのでやっと
公開できてちょっと嬉しいです!しかし…クルトの一人称で話を書くのにものっすごく骨が折れました;;
うっかりクルトの口調を「ムックみたいな感じ」と設定してしまったのがいけなかったんでしょうか(爆)
あ、オリキャラの「テト」が何者かは、以前の長編連載小説「禁呪」を読んでくださった方になら分かっていただけるかと(笑)

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追記:この話、連載小説として、クルトだけでなくマイ設定キャラの旅立ちまでの過程を全部書くつもりだったのですが…
なかなか他キャラの設定を確定できず(確定してしまうと今後の創作がやりにくくなりそうな気もして…)何年も放置して
しまいました。なので、とりあえずクルトが何者かということだけを描いたこの話だけで完結ということにしました。
楽しみにしてくださっていた方がもしおられましたら申し訳ありません;;

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