禁呪 第一章・2

「フフ・・やっと来おったか」
老人は洞窟の最深部で待ち受けていた。周りを見渡すと灯のともった燭台、簡素な木の机、古びた本が
びっしりと詰め込まれた本棚、粗末なベッドなどがあり、どうやら老人はここに住んでいるようだ。老人は杖で
ベッドを指し示し、エレナを寝かせるようにアスルに命じた。
「・・ほう・・この娘・・僧侶か・・・」
老人は、横たえられたエレナの法衣に描かれた十字架の紋様に目を落として呟いた。もっとも、アスルが
勇者であることを見抜いたのだから、エレナが僧侶だということも最初から分かっていたのかもしれないが・・。
「あの、何かお手伝いを・・」
レオンが進み出たが、
「よい、さがっておれ」
老人はレオンを制し、そして杖をエレナの胸元にかざすと、ランはもちろん、アスルや、レオンでさえも聞いた
ことのない呪文をブツブツと詠唱し始めた。
「カーーッ!!」
最後に老人が叫ぶと、辺りは真昼の太陽のような明るい光に包まれた。アスルたちはかたく目をつぶったが、
それでも瞼を通して入ってくる光はまぶしかった。
 

「・・・・・」
光が薄れ、辺りを照らすのは頼りないろうそくの灯のみに戻る。しばしの静寂の後、アスルたちがおそるおそる
目を開けると、ベッドの上には上体を起こし、不思議そうに辺りを見回すエレナの姿があった。
「エレナ!!」
「あ・・あの・・こ・・ここは・・」
「このご老人のお住まいだよ。よかった、気がついて・・」
「うわぁぁん!!エレナぁぁぁ〜〜!!」
いきなりランが駆け出してそのままぴょ〜んと飛び上がり、エレナに抱きついた。
「ラ、ラン・・・」
「エレナのばかぁぁ!!無理なんかするからだぞ〜!!」
エレナにしがみついたランは、大きな瞳を潤ませる。そのランの言葉に、状況を把握し切れていなかった
エレナの頭の中で、次第にさっきまでの出来事が整理されていく。
「・・そっか・・わたし・・倒れちゃったんだっけ・・。・・ごめんね、ラン・・心配かけて・・」
「ううう〜っ・・ぐしゅっ・・えでなはじぶんのことかんがえなさすぎるんだよっ・・ひっぐ・・あたしたぢはぁっ・・
えでなもげんきじゃないとだめなんだよっ・・」
「ラン・・ごめんなさい・・本当に・・」
胸に顔を埋めて泣き出したランの頭を優しく撫でながら、エレナは心の中で深くため息を付いた。
――ダメだなぁ・・わたし・・またみんなに心配かけて・・――
「エレナ」
「あ、アスルさん・・・ご、ごめんなさい・・・」
側に来たアスルに気付くと、思わず身をすくめる。アスルはそのしょげ返った様に思わず苦笑し、それは今は
いいから、と言ってエレナの額に手を伸ばした。
「・・・・!熱が下がってる!!」
「えっ、本当!?じゃぁ、じーさんのさっきのわけわかんない呪文みたいなので治ったわけなの!?」
ランは思わず泣きやみ、顔を上げる。
「じーさんじーさんとうるさいのう、わしの名はユトじゃ。」
「ユト!?」
「レオン、知ってるの?」
その名を聞いたレオンが驚いたような声を上げたため、アスルは疑問に思ってたずねた。
「聞いたことがあります・・現在使用されている呪文はもちろん、太古の昔に失われた、いわゆる古代呪文すら
 身につけているという大賢者の存在を・・・その名が・・確かユトでした・・・。もしや、あなたが・・・」
「フン、まぁ、勝手にそのような肩書きを付けて呼ぶ者もおるがな。しかし今は隠居しておる。ただのジジイじゃ。」
高揚したレオンの声とは裏腹に淡泊な声でユトはさらりと答えた。
「やっぱり!!ああ・・こんな所でお会いできるとは・・!」
感情をあまり表出させないレオンが、素直な感動に子供のように目を輝かせている様子は大変珍しいものだった。
しかし無理もない、思いもかけず賢者の道を志す者全ての憧れとも言うべき人物に会うことが出来たのだから。
「ふぉふぉふぉ・・まぁ、そんなことはどうでもよかろう。それより・・・」
ユトは怪しい笑い声をあげるとエレナの方をかえりみた。
「僧侶の娘よ。お主は自分のことは二の次にして、仲間のために尽くした。その慈愛の心の面では、僧侶として
合格じゃ。じゃが、それだけではいかん。己と他人、その両方を守れるようにならねば、一人前とは言えぬぞ」
「は、はい・・・ごめんなさい・・」
エレナは深くうなだれる。ユトはそんなエレナをしばらく見つめていたが、やがて、
「・・・・どうじゃ、試してみるか?」
エレナにツッ・・と音もなく近づくと、耳打ちをするように小声で言った。
「え?試す・・って、何をですか?」
「禁呪じゃ」
「き、禁呪!?」
エレナはその禍々しい響きを持つ言葉に、思わず大声を上げてしまった。 
「きんじゅ??きんじゅってなーに?おいしいの?」
ランは脳天気にたずねる。
「ち、違います、食べ物ではありません!禁呪とは、文字通り禁断の呪文・・・つまり、本来人間が扱うべきでは
ないような危険な呪文のことですよ!」
レオンが慌てて説明してくれる。それを聞いたアスルの顔が、サッと青ざめた。
「ユ、ユトさん!どういうことですか!?禁呪って・・まさか、エレナをその実験体に!?そ、そんなこと
 させません!!」
「ふぉふぉふぉ・・何を勘違いしておる、わしはこの娘に禁呪を授けようと言っておるだけじゃ。」
ユトの言葉に、全員が驚いた。ユトはその4人の表情を見回しながらゆっくりと続けた。
「禁呪はの・・対象に及ぼす影響が多大であるゆえに、生じる犠牲も大きいのじゃ・・。じゃから、弱き人々は
 それを、人の手の届かないところに追いやろうとする。じゃがそれではいつか、邪なる野望を持つ者や凶悪な
 魔族たちの手に渡りかねん・・・。そのようななことになれば、世界の滅亡にもつながるやもしれぬ。正しき者
 から正しき者へ受け継ぎ、その者たちの心の中に封じておくのが、惨劇を防ぐ一番の方法なのじゃ」
四人は――ランまでもが神妙な表情になり、ユトの話に聞き入っている。
「・・でも、その正しい人たちが禁呪を使っちゃったら、どうなるの・・・?」
ランの質問に、ユトはしばらく沈黙したが、やがて重々しく口を開いた。
「当然、悪しき者どもが使用した場合と同じじゃ・・・そして場合によってはその禁呪は失われるであろう。」
「失われるって・・・どういうことですか?」
エレナがたずねると、ユトはさらに声を落として続けた。
「つまり、禁呪には使用するとその使用者の命が失われるものもあるのじゃ。・・そしてわしが今お前さんに
 与えようとしておるのは、正にその類の禁呪なのじゃ」
「!!」
エレナだけではなく、他の三人も言葉を失った。
「そっ・・そんな危険なものをエレナに与えようだなんて・・・!!どういうつもりなんですか、ユトさん!?そんな
 こと、絶対させません!!」
アスルはユトにつかみかからんばかりの勢いで猛反対を主張した。だがユトはそんなアスルには目もくれず、
落ち着き払った眼差しでエレナをじっと見据えていった。
「その禁呪は、神聖呪文に属するのじゃ。よって、使用できる者は僧侶か賢者に限られる。そこの兄さんも
 賢者のようじゃから、本当なら兄さんでもよいのじゃが・・・・」
ユトはレオンをちらりと見たが、すぐにエレナに向き直った。
「わしはお前さんを試してみたい。今のお前さんの優しさでは、他人を守ることが出来ても自分を守ることは
 出来ぬじゃろう。その優しさを、自分と他人の両方を守ることが出来るよう成長させるためには、多少の
 荒技も必要じゃろうて。」
「・・・・・・」
エレナはユトの話にじっと聞き入っていた。
みんなが傷ついているのを見るのは辛い。だから、みんなを助けたいから、多少無理をしてでもみんなのために
頑張ってきた。そのために自分がどうなろうと、みんなが元気でいてくれればそれで構わないと思っていた。
でも・・・自分も同じように元気でいないと、みんなに心配をかけてしまうということに・・・迷惑をかけてしまうことに
気が付いた。それなのに、みんなを守ろうとするとどうしても自分のことを考える余裕がなくなってしまう。このまま
じゃいけない、何とかしないと・・・エレナは最近特に強く、そう思うようになっていた。だが、それでもまた今回の
ようなことになってしまったのだ。このままでは自分のことが大嫌いになってしまいそうだった。
「ダメだよ!!危ないもん、絶対にダメっ!!」
ランも激しい反対の意志を見せた。レオンは特に何も言わなかったが、その表情から、アスルやランと同じ
意見だということが読みとれる。
「わしはこの娘に聞いておるのじゃ。・・・どうじゃ?無論、嫌ならば断ってもよいのじゃぞ」
――少しでも・・・変われる可能性があるのなら・・・――
恐くないわけではない。しかし、うつむいた顔を上げたエレナの瞳には強い決意が宿っていた。
「・・・わかりました。わたしにその禁呪・・お与え下さい!」
「・・・!エレナ!!」
「ダメだってば!!エレナぁ!!」
止めようとするアスルたちに、エレナは微笑みかけた。
「大丈夫です・・・使ったりしませんから」
「でも!!」
「お願いです、やらせて下さい。わたし、みんなに迷惑かけてばかりの自分を変えたいんです。強く・・なりたい
んです。だから・・・試してみたい・・・」
「・・・・・」
三人は、反論するべき言葉が見つからず黙り込んでしまった。そのスキに、とばかりにユトはエレナの手を
引いて立たせる。
「決まりじゃな、では早速儀式の間に行こうかの」
ユトが呪文を唱えると、行き止まりだと思っていた場所の岩が音を立てて動き、更に奥へと続く道が現れた。
「あ・・・」
「さぁ、行くぞ」
ユトはエレナを自分の後に続かせ、奥に向かおうとした。だがその時、
「待って!!ぼくも行く!!」
アスルが進み出た。
「部外者は立入禁止じゃ」
ユトはアスルを睨めあげたが、アスルはひるまず、エレナの手をしっかりと掴んだ。
「ア、アスルさん!?」
「行くと行ったら行きます!お願いです、エレナの側にいさせて下さい・・・でないと、ぼくはエレナを行かせ
ません !!」
アスルの真剣な眼差しに、ユトは何を言っても無駄だと悟り、ため息を付いた。
「・・・・・ふん、好きにするがよいわ。ただし、儀式の最中は部屋の隅で大人しくしておくのじゃぞ」
そう言い残すと、ユトは先に奥の方に進んでいった。
「・・・アスルさん・・・どうして・・・」
エレナが問いかける。
「禁呪を与える儀式だなんて、何されるか分かったもんじゃないだろ!?いいかい、もし少しでも危険だって
 思ったら、ぼくは絶対止めにはいるからね!」
アスルは強い口調で言った。それに伴ってエレナの手を握っている手にも力がこもる。エレナは、少し痛いと
思ったが、それを口には出さなかった。恐れと不安で一杯の心を和らげてくれるその手を、離して欲しくなかった
から・・・。
「あたしもいくよっ!!」
ランの申し出に対し、レオンが首を振った。
「いいえ、ラン。わたしたちはここで待っているべきです。何が起きるか分かりませんからね・・・皆が同じ場所に
固まっていない方がいいでしょう」
「・・・・・」
ランは不満そうだったが、アスルとエレナにもそうして欲しいと言われ、仕方なく従うことにした。
「ではエレナ、アスル・・・・・気を付けて」
レオンは不安を精一杯押し殺して微笑みを作り、二人を見送った。

 


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