禁呪 第三章・3

 

ここは、無の空間。
生者と死者の世界の狭間。
命を失った者が霊界へ行く前に来る世界。


「さぁ、こちらです…怯えることはありません、大丈夫ですから……」
何もないこの世界に、一つだけ大きく荘厳な門があった。
その門の前には一人の少女がいて、霊魂達を中へと誘導していた。
霊魂といっても、それは生前と変わらぬ人や動物の姿をしている。ただ一点、身体が半透明で
ぼんやりと光っていることを除いて……。
その点、この少女の身体は輪郭もハッキリしているし、透けてもいない。霊体でないことは明らかだ。
紫を基調としたゆったりとした衣服をまとっており、手には金色に輝く錫杖を持っている。
その肌は白く、対照的に髪は艶やかな黒色をしていた。
神秘的という言葉が相応しい、そんな少女だ。

少女は、まとめてやってきた霊魂達を誘導し終えると小さな溜息をついた。
――また魔物達に村が滅ぼされでもしたのかしら…最近死者が多すぎるわ…――
その時、彼女の強い霊感が働き、空間内をさまよう迷い子の魂を感知した。
ここへ来たものの、まっすぐこの門までたどり着けない魂もある。
そういった魂をここまで導いてやるのも彼女の役目だ。
少女は目を閉じ、神経をととぎすませてその迷い子に語りかけた。
――こっちですよ、こっちへいらっしゃい…さぁ…――
魂がその呼びかけに反応した。戸惑いながら、怯えながら、ゆっくりと近づいてくる。
しばらくすると、淡い輝きを放ちながら、一人の少女の魂がやってきた。
それは……エレナの魂だった。
「よく来ましたね。さ、こちらです。ここへ入れば霊界へ行けます」
「あ、あの…ここは一体…」
エレナは恐る恐る、少女に尋ねた。
「ここは無の空間…生者と死者の狭間の世界です…」
「地獄じゃ…ないんですか?」
「天国や地獄はこの門の先です。ここへ入れば、自動的にどちらかへ導かれます…
生前の行いによって」
少女の言葉に、エレナは顔を曇らせた。いくら自分を犠牲にして仲間たち救ったとはいえ、
ユトとの約束を破り、そして仲間たちとの約束を破ったのである。
地獄へ落とされてもおかしくないと思ったのだ。
――…仕方ないわ、わたしが悪いんだもの…わたしが…――
顔を上げて、門に目をやった。中がどうなっているかは伺うことは出来ない。
虹色の渦がうごめいているだけだ。
「どうしました?早く中へ入って下さい」
少女に促され、エレナはビクッと体を震わせた。
「……はい」
一歩一歩、入り口へ近づく。
――ごめんなさい、ユト様…ラン、レオンさん……アスルさん…さようなら…――
エレナの紅い瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。
その時だった。
「待って!!」
「えっ…!?」
聞き覚えのある声に引き留められ、エレナの足がピタリと止まった。
だが、こんな所にいるはずがない。その声の持ち主である少年が、
こんなところに……。
「あっ!」
振り向いて、エレナは二度驚いた。そこに立っていたのは紛れもなくその少年……アスルだったのだ。
「アスルさん…!?ど、どうしてここへ…」
死んだ者が来るはずであるここに彼がいるのは、どう考えてもおかしい。
エレナは戸惑いを隠しきれない様子だ。
――…よかった、間に合った…!!――
再び会うことが出来た……喜びと安堵感がアスルの胸にこみ上げてきた。
だが…
「馬鹿っ!!」
「!!」
アスルの口から最初に発せられたのは、エレナの身をすくませるのに十分なほどの怒声だった。
「どうしてあの禁呪を使ったんだ!!絶対使わないって約束したじゃないか!!」
「ご、ごめんなさい……わ…わたし…」
「みんなどれだけ悲しんだか分かってるのか!? 君は自分が死んだらぼくたちがどう思うか
考えなかったのか!?」
「ごめんなさい、ごめんなさいっ……!」
アスルがこんなに怒ったところを見たのは初めてだ。しかも、その怒りは自分に対して向けられている。
その恐怖に震えながらも、エレナは強い罪悪感から反論することもせず、涙をポロポロ流しながら
ぎゅっと目をつぶってアスルからの非難に耐えた。
口の中で“ごめんなさい”と呪文のように繰り返しながら……
「……もういい。とりあえず、帰ろう。みんな待ってるから…」
少し落ち着きを取り戻したアスルは、いつもの口調に戻ってエレナの手を取った。
「え…っ…?」
しゃくり上げながらエレナが顔を上げる。
「ぼくは君を連れ戻しに来たんだ。ユトさんに頼み込んで、ようやく許可して貰えたんだよ」
「幽体離脱、ですね」
「!?」
それまで黙って二人の様子を見ていた少女が口を開く。
アスルはその時初めて少女の存在に気付いた。そして他人がいる前で大声を上げていたと分かり、
急に恥ずかしくなった。
「や…あの、その通り…ですけど…えっと、貴方は…?」
アスルの問いかけに少女は無表情のまま、落ち着きのある静かな声で答えた。
「わたしは霊界への案内人。この門の番人…。人間でも霊魂でもない、神の使いです。
マユカと言う名が与えられております」
「マユカ…さん?」
少女の名を、確認するようにもう一度繰り返す。マユカと言う名のその少女はツ…とアスル達に
近づいた。腰まである長い黒髪がさらりと流れる。
改めて見ると、マユカはかなり美しい少女だった。神の使いであるというのもうなづける。
彼女の全身から漂う神秘的な雰囲気も、それ故だろうか。
「貴方はこの少女を生き返らせるために、幽体離脱しここへ来た…」
「は、はい。そうです」
「けれど!」
急にマユカの表情が険しくなった。そして繋がれていたアスルとエレナの手を引き離し、グイッと
エレナを自分の方に引き寄せた。
「マ、マユカさん!?」
「何をするんだ!!」
「死者は行くべき所へ行かねばなりません。貴方は帰って下さい」
マユカは感情のない声でアスルにそう告げ、エレナを連れたまま滑るように後退した。
「ちょっ……待って下さい!!ぼくはエレナと一緒じゃないと帰りません!!」
慌ててそれを追うと、再びエレナの手をつかむ。
「――放しなさい」
鋭く冷たい視線がアスルを射抜く。アスルは一瞬ひるんだが、強い意志を込めた視線を
マユカに返し、首を横に振った。
「早く帰らなければ貴方も死者と同じ扱いとし、霊界へ連れて行かねばなりません」
それを聞いたエレナが青ざめる。
「そ、そんな…!アスルさん、早く…早く帰って下さい!!」
「嫌だ」
「アスルさん…っ!」
「ぼくは帰らない。君と一緒じゃないと帰らない!!」
「……」
アスルの頑なな態度はエレナに、そしてマユカに、何を言っても無駄だということを分からせた。
「――やむをえません」
マユカは手にしていた黄金に光る錫杖を、アスルに向けて構えた。
「最後の警告です。早急にここを立ち去りなさい。さもなくば貴方も、この少女と共に門の中へ
入っていただくことになります」
「させません。帰ってみせます、エレナを連れて!!」
どんな言葉も、今のアスルには通じなかった。
「そう、ですか……ならば!」
次の瞬間、マユカの杖がエレナを襲った。アスルは慌ててそれをかわそうとしたが、エレナの手を
掴んでいたため完全にはかわしきれず、少し腕をかすってしまった。
「っつ…!」
今は実体を持たない“魂”であるはずのアスルに、黄金の錫杖の攻撃は確かなダメージを与えた。
どうやら、強い霊力を宿した杖であるようだ。
「アスルさんっ!大丈夫ですか!?て、手を離して下さい!」
エレナはアスルの手をふりほどこうとした。が、アスルはそれを許さない。
しっかりと、強く掴んだままだ。
「アスルさん…お願いですから、放して…!!」
マユカの攻撃は、次第に熾烈になってくる。杖は何度もアスルをかすめ、その度にアスルの表情が
苦痛に歪む。それでも手を離そうとしないアスルの姿に、エレナの瞳は再び涙をたたえ始めた。
自分のために、かなうはずのない相手に抵抗し続けている…それに対しての申し訳なさ、
そして少しだけ嬉しさの混じった気持ちで胸がいっぱいになって……。

「ぐっ…!!」
ついにアスルが膝をついた。マユカはすかさずその首元に杖をあてがい、相変わらず
感情のない声で呟いた。
「これ以上の抵抗は無意味です。このままでは貴方は消滅してしまいます…そうなれば、
貴方の存在自体が無くなるのです、成仏も転生も出来ません…」
「……」
「そんなことは、わたしも神も望んではおりません。どうか、もう逆らわないで下さい…さぁ…」
もはや絶体絶命かと二人が身をすくませたその時、突然空間全体を揺るがすような不気味な唸り声が
聞こえてきた。
「あ…あぁ…!!」
「えっ?」
二人が自分の後方を見ながら顔をこわばらせたのを不審に思い、マユカはゆっくりと振り返った。
「!!」
なんと、門から真っ黒な太い腕がにょっきりと飛び出していたのだ。しかもそれは、普通の人間の
腕の5倍以上はあろうかという巨大なものだった。
「――しまった!!」
マユカの表情が引きつった。黒い腕に続き、足が、そして頭が姿を現す。
全身真っ黒で、目は炎のように赤く、裂けた口からは鋭利な牙が覗いている。
そして頭部には、左右に太い角が一本ずつ生えていた。
「くっ!」
マユカは素早く杖の矛先を、その怪物へ向け直し、胸部めがけて突いた。
が、少し遅かった。怪物はそれをすんでの所でかわし、マユカの身体は勢い余って地面に叩きつけられた。
同時にその手から杖が離れ、杖は弧を描いてマユカの手の届かない遠方へ飛んでいってしまった。
「あぁっ!」
「グヘヘヘヘヘ…マユカァ!!」
怪物の巨大な手が、マユカのか細い腰を掴む。そしてそのまま自分の目の高さまで持ち上げると、
ニヤニヤ笑いながらいやらしい目つきでマユカを眺めた。
「や〜っとチャンスが訪れたぜェ〜!お前をぶっ殺すチャンスがよォ!!」
地の底から響いてくるような、低く、おぞましい声だった。

(00/1/31)

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