禁呪 第三章・4

 

完全に姿をあらわしたその怪物の背には、体色と同じ真っ黒な羽が生えていた。
その形は コウモリのものに似ている。その上、先端の尖った尾まであり、ゆたゆたと揺らしていた。
「悪…魔…?」
その容姿を形容するにふさわしい言葉を、恐る恐るエレナがつぶやく。 それを敏感に聞き取ったらしい怪物は、
ゆっくりと振り返り、牙を剥き出しにして下品に笑った。
「そうよ!!オレ様は超絶最強悪魔ウィギーだ!!」
マユカがそれを聞いて、あざけるように鼻を鳴らす。
「フン…何が最強よ…魂を喰らって生きる下等生物に過ぎないくせに…!」
「ハハハッ!!憎まれ口をたたく余裕があるのか?マユカよ!」
悪魔ウィギーはマユカを掴んでいるその手に更に力をこめた。 マユカの表情が苦痛にゆがむ。
ウィギーはその様子を楽しそうに眺めながら 声をあげて笑った。
「お前さえ死ねばここを守るものはいなくなる!そうすりゃオレ様は魂を喰い放題って 訳だ!
グハーッハッハッハ〜〜!!」
「だから…あなたは下等だというのです!例えわたしが死んでも、すぐに新しい 番人が遣わされます…!」
「……ふん!それまでに喰い溜めしときゃぁすむことよ!知ってるんだぜ? 最近死ぬ奴が多いって事ぐらいヨォ。
美味そうな魂の匂いがプンプン…オレのいる 魔界にまでただよってきてるくらいだからなぁ!!」
「させるものですか!!悪魔に吸収された魂は永久に成仏できない…転生もできない! そんなこと、
絶対に……ああっ!!」
「グヒョハ〜ッハ〜!!今のお前に何が出来る!?オレがちょいと力を入れりゃぁ お前なんか
簡単に潰れちまうんだぜェェェ〜〜!?」
ウィギーは手に力を込めたり、緩めたりしてマユカの苦しむ様を楽しんでいるようだ。
すぐには殺さず、散々いたぶって苦しめてから殺す…まさに悪魔が考えそうなことだ。
「ど、どうしましょう…アスルさん!マユカさんを助けないと…!!」
エレナの動揺しきった声で、アスルは我にかえった。
「あ…う、うん!」
その時、アスルの頭にふと一つの考えが浮かんだ。
――今ならマユカさんはぼくに攻撃できない…今なら、エレナを連れて帰れる……――
自分でもぞっとするほど薄情で身勝手な考えだった。けれど…と、アスルは唇を噛んだ。
エレナを連れ帰るチャンスは今しかないかもしれないのだ。
「アスルさん…?」
エレナがいぶかしげにアスルの顔を見上げる。アスルは複雑な表情でエレナを見やり、そして……
「…エレナ…逃げよう」
震える声でつぶやいた。
「え…今、何て…」
エレナは我が耳を疑い、もう一度聞き返した。アスルは答えず、黙ってエレナの手を掴むと ぐいっと引っ張った。
「アスルさん!」
「仕方ないだろ、チャンスは今しかないんだ!!マユカさんはぼくたちを見逃してくれそうも ない…でも、今なら…
マユカさんがウィギーに捕まってる間なら…!!」
「そんな…!アスルさんがそんなこと言うなんて信じられません!このままじゃマユカさんは 殺されて
しまうんですよ!見殺しにしようと言うのですか!?」
「そんなこと……!!」
言いかけてアスルは言葉を詰まらせた。今自分がやろうとしていることはまさにエレナの言うとおり、
マユカを見殺しにするということなのだ。
「……わたしの…せいなんですね」
哀しげな声でエレナが呟く。
「え?」
「わたしを連れ戻そうとして…アスルさん、そんなことを……」
エレナの瞳に涙がにじむ。
「エレナ…」
「――帰ってください」
エレナは静かにアスルの手を振り払った。
「な…何言ってるんだよ、エレナ!?」
「…ごめんなさい…わたし…今のアスルさんらしくないアスルさんと一緒に帰ることは 出来ません……
わたしは…マユカさんを助けます!」
アスルは慌てた。せっかく再会出来たのに、このままではここへ来た意味がなくなってしまう。
「バカなことを言うなよ!今の君に何が出来るんだ!?」
「で、でも、だからって…!!」
確かにその通りなのだ。エレナの僧侶としての能力も、霊体である今は何の意味もなさない。
この空間で唯一強い能力を有しているマユカ自身が危険に陥ってるというのに、それを エレナが救おうというのは
不可能に等しいことだ。
「………っ」
エレナは黙り込んでうつむいた。悔しさゆえか肩を震わせている。 アスルは、そんなエレナを見て胸をえぐられるかのような
罪悪感を覚えた。 自分のふがいなさ、そして、マユカを見捨てて逃げようと少しの間でも考えてしまったことに対して、
自身への激しい怒りが湧き上がってくるのも感じた。

「ひ〜っひっひ〜う〜ほっほ〜〜うひょほほ〜ほほほ♪♪」
ウィギーはバカ丸出しの奇声をあげてマユカをつかんだままクルクルと回転しながら踊っていた。
マユカは既にぐったりと力なくうなだれている。死んではいない様だが、気を失っているのかもしれない。
「アルゥヒィ〜モゥリィノナカァ〜クマシャンニ〜デアッタァァ〜〜♪♪♪」
ついにウィギーは訳のわからない歌まで歌いだした。が、次の瞬間、
「あンぎゃぁぁぁぁ〜〜!!!」
突然ウィギーはもの凄い悲鳴をあげた。驚いてアスルとエレナがウィギーを見ると、ウィギーは 右足の裏を両手で抑えて
片足でぴょんぴょん飛び回っていた。 手を離したため、マユカの体は放り出されて少し離れたところに倒れている。
「ど、どうしたんだ?あいつ…」
ウィギーはまるで足の裏に火傷を負ったかの様だ。
「一体何が…」
「あ、アスルさん!あれ!!」
エレナがウィギーの足元の物に気づいて指差した。見ると、それはマユカが持っていた黄金の錫杖だった。
「ウィギーは…あれを踏んだのか?」
それ以外何も落ちてないのだから、そうとしか考えられないだろう。
…と、なると…… 二人の頭には同時に同じ考えが浮かんだ。
「そうだ!」
エレナとアスルは顔を見合わせた。そして、思いついたことが同じであることを互いに悟る。
「あれでウィギーを攻撃すれば、きっと倒せる!!」
アスルの言葉に、エレナは強く頷いた。だが次の瞬間二人の表情は再び曇る。
あの杖は強い霊力を秘めているのだ。今の自分たちが触れれば激しい衝撃を受け、下手をすれば 消滅してしまう可能性がある。
それは先程アスルがあの杖に痛めつけられたことからも想像できる。 けれど、他の手段はすぐには思いつかない。
そして、ウィギーがのた打ち回っている今しか チャンスはない。
「わたしがやります!」
「何言ってるんだよ、ぼくがやる!」
「だって、アスルさん、これ以上あの杖に触れたら消えてしまうかもしれないんですよ!?」
「危険なのは君も同じだろ!!」
「でも……!」
「…ぼくはマユカさんを見殺しにしようとしたんだ。その罪滅ぼしをさせてくれ……」
「それじゃ矛盾してます!!わたしがメガンテを使ったこと、あんなに怒ったくせに、
自分は消えちゃってもいいって言うんですか!?」
「……!!」
その言葉にアスルは何も言い返せなくなってしまった。
エレナは、アスルが言葉を探している間に黄金の錫杖に駆け寄った。少しためらったものの、 ぎゅっと目を閉じて手にとる。
瞬間、エレナは体中に電流が走るような衝撃を受けた。
「くっ……!」
歯を食いしばって耐えるものの、目をあけることが出来ない。これではただでさえ動き回っていて 狙いを定めることが困難な
ウィギーを攻撃することは不可能だ。
「ううっ…!!」
エレナの力はどんどん杖に吸収されていく。このままではエレナは消滅してしまう。 だが、その時だった。
不意に杖が軽くなったのだ。電流のような衝撃も半減した。
エレナが不思議に思ってゆっくり目をあけると、すぐ隣にアスルの顔があった。
「ア…スルさん…?」
驚いて目を見開くエレナに、アスルはばつが悪そうに苦笑いをする。
「二人で、一緒にやろう。…それなら、文句はないよね?」
「…は、はい!」
エレナが涙ぐみながらも微笑んだのを見て、アスルは安堵のため息を漏らした。 だが、安心している場合ではない。
こうしている間にも、杖はどんどん二人の力を吸い取っていく。
「ぐ…っ…エレナ…チャンスは、一回きりだと思ったほうが良さそう…だね……」
「そう…ですね…でも、どうやったら…いいでしょうか……」
ウィギーはまだアスルたちの様子には気づいていないようだ。その場に座り込んで右足を抱え込み、
涙を浮かべながらフーフー息を吹きかけている。今なら狙いを定めることが出来るだろう。
「…よし、一気に近づいて攻撃しよう!!」
「え…で、でも、もし気づかれたら…」
「“もし”なんて考えてるヒマはない!!いいね、絶対成功する!…そう信じるんだ!!」
「は、はい!」
二人は、ウィギーとの距離はそのままに、そっと背後に回りこんだ。
杖を再び強く握る。 強い衝撃に押しつぶされそうになる。二人はどちらからともなく手を重ね合わせていた。
「いくぞ!!」
「はい!!」
杖の先をウィギーの背――ちょうど心臓を貫ける位置に向けた。 グッと後方に一旦引き…二人は走った。
脚力にかなりの差がある二人だが、 不思議と足並みがそろう。そして……

(01/3/28)

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