禁呪 第五章・1


洞窟の中にはやはり風の音のような魔物の唸り声が無気味に響いていた。
奥へ奥へと歩を進めてゆくと、またしても多くの魔物たちが牙を向いてきた。
あの時、エレナのメガンテで魔物たちは消え去ったはずだが、もはやほぼ元に戻っているようだった。
やりきれない思いを抱えながらも四人はひたすら進み、戦った。
あの日の恐怖を振り払うかのように…――。

「はぁ……今どのあたりなのかな…前よりすすんだかな?」
やっとの思いで何匹目かのトロルを打ち倒したランはパンパンと手をはたきながら大きく息をついた。
「わからない…とにかく、またこいつらが襲ってこないうちに少しでも進もう!」
アスルはそう言って再び歩き始めた。エレナはそんなアスルの腕が小刻みに震えていることに気付く。
「アスルさん!」
素早くアスルの元へ駆け寄る。見ると、剣を振るい続けたその腕はしびれていた。
「アスルさん…少し休んだ方がいいです」
「へ、平気だよこのくらい…」
心配そうに自分を見上げるエレナに、アスルは無理に笑って見せる。
「アスル、急いては事を仕損じると言います。少しは休憩しませんか?」
レオンの言葉にもアスルは首を横に振った。
「のんびりなんかしてられない!早く、ここを抜けないと…また前みたいなことになったら……!」
そこまで言って、アスルははっとして口をつぐんだ。
恐る恐る隣を見ると、エレナは俯いて唇を噛んでいた。
ランもレオンも目を伏せ、仲間たちの間に気まずい空気が流れる。
「……ごめん。エレナ、ベホマラーをかけてくれないかな?そしたら行こう」
アスルが言うと、エレナは無言で頷き、ベホマラーを唱えた。
四人に体力が戻る。だが気分は晴れないままだった。


「あっ…」
洞窟の壁が不自然に崩れ、地面のいたるところにも穴があいている場所。
その崩れた岩の先に引っかかり、何処から吹いてくるのか分からない
生暖かい風に揺られる、藍色の衣の切れ端をエレナは見つけた。
「これは…」
間違いない。エレナはそれを手に取り、自分が身にまとっている法衣と見比べた。
「どうしたの?エレナ」
「何かあったんですか?」
ふいに足を止めたエレナを不審に思い、仲間たちも集まってくる。
そしてその手に握られたものを見たとたん、顔色を変えた。
生き返り、改めて自分の姿を見てみると、法衣の所々が破れていることに
エレナは気付いた。繕おうかとも思ったが、損傷がひどかったので予備の物に
取り替えた。メガンテを唱えたことによってエレナの生命エネルギーが内側から
一気に放出されたためだとユトは言っていた。

そうだ。この場所だ。あの悪夢のような出来事が起きたのは。
――この場所でエレナは…ぼくの目の前で……――
アスルの心臓が激しく脈打つ。冷たい汗があふれ出てくるような感覚。
脳裏に浮かぶ、光の中の悲しげな笑顔――。
「行こう…早く、行こう!!」
アスルはそれをかき消すかのように、搾り出すように呟く。
エレナは法衣の切れ端を強く握りしめ、顔をあげる。決意を新たにするように。
「はい!」
「よし、急ご!」
「ええ!」
ランとレオンも強く頷く。
だが、先を急ごうとする一行の前に突然黒い影が立ちふさがった。
「!!」
身構える四人。それは一匹だけの、小さな魔物だったが、その姿を見た
四人の表情は恐怖に凍りつく。
「踊る宝石…!!」
そう、あの時、踊る宝石のメダパニによってランが混乱したことによって形勢は
一気に悪くなり、最悪の結果を迎えてしまったのだ。
「に、逃げよう…」
触らぬ神にたたりなし、とばかりに恐る恐る、踊る宝石から遠ざかろうとする四人。
だが、踊る宝石は素早くその行く手に回り込んできた。
「ケケケケ…」
「うわっ!」
体当たりに一瞬ひるむが、すぐ体勢を立て直すアスル。
攻撃力は取るに足らないのだが、驚異的な素早さを持ち、非常に厄介な
多くの呪文を操るのが踊る宝石だ。敵意をあらわにしている踊る宝石から
逃げおおせるのは至難の業だと悟った四人は戦うことを決意した。
「ふんっ!一匹だけなんてすぐ倒せらいっ!!」
ランは拳を振りかざし、踊る宝石に突進した。いや、しようとした。
だが、意思に反して身体は動かない。
「ラン、どうしたの!?」
「…あ、あたし…どうして……動けな…」
固めた拳が震えている。額にじっとりと脂汗が浮かぶ。
「前も…あたし何も考えずに突進して……メダパニかけられちゃって……」
ランの口からうわごとのように言葉が漏れる。やがてランはガクリとその場に膝をついた。
「ラン!!」
エレナが駆け寄り、その肩を支えた。
「エレナ…ごめん、あたし…!あいつに殴りかかったら次の瞬間意識がなくなって、
みんなのこと傷つけちゃうんじゃないかって…それで、そのせいでエレナが…っ!!
怖い、怖いよっ…!!」
ランは肩で息をし、震えながら、目に涙をためてエレナに抱きついた。
「どうやら、この間のことがトラウマになっているようですね…」
レオンは普段の明るく能天気な姿からは想像もつかないようなランを憐れむように呟いた。
――ごめんね、ラン…わたしのせいで…――
エレナはいたたまれない気持ちになり、ランを強く抱きしめる。
そしてその後優しく、なだめるように囁いた。
「大丈夫よ…ランはここで休んでいて。踊る宝石はわたしたちで倒すわ」
「でも…」
「いいから、ねっ」
そう言って、いつものやわらかな笑顔を見せた。
その笑顔に少し落着きを取り戻したランは、ごめんね、と呟いて小さく頷いた。
「アスルさん、レオンさん!」
立ち上がり、アスルとレオンの方を向くと二人も強く頷く。
「ピオリム!」
踊る宝石の素早さに対抗するべく、エレナは敏捷性を強化する呪文を唱えた。
「でやぁっ!!」
それにより、アスルは踊る宝石が再度攻撃を仕掛けてくるよりも先に動くことが出来た。
だが、
「ケケケケケ〜!!」
「くっ…!!」
アスルの剣は虚しく空を切ってしまった。
「メラゾーマ!!」
レオンは踊る宝石に反撃させまいと攻撃呪文を唱える。
巨大な火の玉は、確かに踊る宝石の身体を包み込んだ。
「やった!!」
しかし、踊る宝石はその中から何事もなかったかのように飛び出してきたのだ。
「キョキョキョ〜〜!!」
「……!!」
レオンはその時になってようやく思い出した。踊る宝石には、一切の呪文が通用しないのだと
いうことを。焦るあまり、そんな基本的なことを、仮にも『賢者』と呼ばれる立場でありながら
一時的にでも忘れていた自分をレオンは恥じた。
だが、悔やんでいる暇はない。一刻も早くこのこ憎たらしい魔物を打ち倒さなければならないのだ。
「えいっ!!」
「ギョ!」
得意になり、隙を見せた踊る宝石へのエレナの攻撃が見事命中する。
「ギー…」
しかし非力なエレナには、一撃で仕留めることは出来なかった。
踊る宝石は怒りに満ちた鋭い目つきでエレナをにらみつけた。
エレナは自分が標的にされたことを悟り、手にした杖を強く握り、構えなおす。
「エレナ!!危ないっ!!」
アスルは考えるよりも先に動いていた。エレナの前に駆け出し、両手を広げる。エレナを守るように。
「アスルさん!!」
「マヌーサ!」
踊る宝石が呪文を唱えた。エレナに向けられたはずのそれはアスルを包み込む。
「うわぁっ!!」
アスルは思わず固く目をつぶる。身体には痛みも、異変も感じない。
だが…目をあけた時、そこに映るものは全く変わっていた。
洞窟にいたはずなのに、地面も天上も分からない一面緑がかった霧に覆われた空間にいる。
隣にいるエレナの姿は何重にも見え、一匹だったはずの踊る宝石が何匹もいてあざけるように
笑いながらこちらを見ている。――いや、違う。
分かっている、それらは踊る宝石が唱えた呪文の効果による幻覚。
「アスルさん!!大丈夫ですか!?」
「…くっ…!!」
アスルは剣を目の前の踊る宝石の一匹に振り降ろした。
しかし、確かに真っ二つにしたはずなのに手ごたえは全くない。
「外れかっ!!」
間髪入れず次の一匹を斬るが、やはり同じだった。
その様子を見たエレナは、アスルが幻惑の呪文マヌーサにかかってしまったことを理解した。
「アスルさん…ごめんなさい、わたしのせいで…」
「エレナ!そんなことを言っている場合じゃありません!!」
レオンはそう言うといつも使っている杖を置き、代わりに剣を取り出して構えた。
呪文攻撃を主とするレオンだが剣もそれなりに扱えるのだ。
「レオンさん…」
エレナはレオンの意図を察し、アスルの手をとった。
「アスルさん、踊る宝石はレオンさんに任せて…しばらくランと一緒に休んでて下さい」
「えっ、でも…」
姿の定まらないエレナの声に、アスルはうつろな瞳で返事をする。
「大丈夫です、レオンさんなら…さぁ、こっちへ」
「……うん、そうだね…」
アスルは少し悔しげだったが、今自分が一緒に戦ってもかえって足手まといになるだろうと思い、
素直に従った。エレナに手を引かれてランが座り込んでいるところまで移動する。
「マヌーサにかかるなんてマヌケだよ、アスル」
ランがからかうように言う。
「人のこと言えないだろ!」
言い返しながらも、ランに憎まれ口を叩く元気が戻っていることに少し安心した。
「ギャーー!!」
踊る宝石の叫び声が洞窟に響く。
「!!」
何度も攻撃をかわされ、連続であらゆる呪文をかけてくるのをかわしながら、
レオンはついにその剣で踊る宝石を貫くことに成功したのだ。
「やった!レオン〜!!」
「レオンさん!」
ランとエレナがレオンに駆け寄る。アスルも駆け寄りたかったがマヌーサの効果で
レオンの姿がまともに見えなくなっているので仕方なくその場に留まっていた。
剣を引き抜くと、踊る宝石は力なく地面に落ちた。
レオンはふぅっと息をつくと、手の甲で額の汗を拭った。
「やるじゃん、レオン!」
「いやぁ、わたしだってこのくらいは、ね」
ランの言葉にレオンは振り向いて、少し照れたような笑顔を見せた。
「レオンさん、怪我はありませんか?」
「いえ、大丈夫ですよ、エレナ。こいつは呪文ばかりをとなえてきましたから…
命中しなかったので問題ありません」
エレナとレオンが話している横をすり抜け、ランは動かなくなった踊る宝石に近づいた。
「ふーんだ、このやろっ!よくも散々いじめてくれたな!!」
そう言いながら踏みつける。
「ラン、もう死んでるんだからそんなことしちゃ駄目よ」
エレナがたしなめるとランはしぶしぶ足を止めた。
「ぶーっ、だってこいつ…まぁ、そうだよね…」
そして踵を返し、立ち去ろうとした。その時。
「…あっ!!」
「なっ!?」
エレナとレオンの顔色がさっと青ざめたのに気付き、ランは不思議そうに首をかしげた。
「ん?どうしたの二人とも?」
その視線の先にあるものを確かめようと振り向く。
足元にいたそれは震えながら、半分身を起こしていた。
「――!ま、まだ生きてる!?」
気づいた時には遅かった。

「メダパニーー!」

踊る宝石は最後の力を振り絞って呪文を唱えた。
――あの日の悪夢を招いたその呪文は、あの日と同じモンスターの口から発せられ、
あの日と同じくランにかけられてしまったのだ。
「うわぁぁぁーーっ!!」
ランの叫び声は悲痛だった。波のように押し寄せ、意識をのっとってゆく何かに必死で抗い、
押しのけようとする。一瞬でも油断したことを悔やみながら。
――いやだ…いやだ!!もう、あんなことは二度と……!――
しかし抵抗もむなしく、次の瞬間ランの頭の中は真っ白になった。
意識は完全にのっとられてしまったのだ。
「ラン!!ランー!!」
「いけません、エレナ!!」
ランに駆け寄ろうとするエレナをレオンが止める。踊る宝石は動かなくなっていた。
どうやら力を使い果たし、事切れたようだ。
「何だ!どうしたんだ!?」
まだ幻覚によって周囲がまともに見えていないアスルは仲間たちの声で異変を察し、立ち上がった。
「アスルさん…ランが、ランがメダパニに…!!」
エレナの泣き出しそうな声を聞きアスルの顔色が変わる。
「な…なんだって…!?」
アスルの脳裏にあの日の悪夢がフラッシュバックする。それはレオンも、エレナも同様だった。
「落ち着くのです!今は他に魔物はいません、とりあえず、一度脱出を……」
内心激しく動揺しながらも、精一杯の冷静な判断をするレオン。だが――
「な、何か聞こえるぞ…」
視覚に頼れない分、耳に神経を集中させていたアスルはこちらへ勢いよく近づいてくる
無数の足音にいち早く気付いた。
「アスルさん!?」
「魔物たちだ!!たくさん、こっちへ向かってきてる!」


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