禁呪 第五章・2

「…!!」
おそらくは先ほどの踊る宝石の絶叫に呼び寄せられたのだろう。
その場を離れようにも、ランを置いては行けない。
ますます"あの日"と似た状況になってゆくことにアスルもレオンも、そしてエレナも
沸きあがる恐怖を抑えきれずにいた。

そうしているうちにも魔物の群れは近づいてくる。
ランはゆっくりと振り返り、うつろだが、殺意に満ちた瞳を三人に向けた。
やはりランはメダパニにかかってしまったのだ……三人はそれをはっきりと理解した。
「ラン…」
頬に涙の跡が残っているのを見つけたエレナはランの苦しみを思い、小さく呟いた。
「ギシャー!」
「ゲッゲッゲ…」
魔物たちは四人を取り囲む。
「あ……あ…」
ただでさえたくさんの魔物は、マヌーサにかかっているアスルの目には更に数倍の大群に見えていた。
――落ち着け…!大半は幻なんだ!――
自分に言い聞かせ、アスルは剣を握りなおし駆け出す。
「だぁーーっ!!」
魔物の群れをなぎ倒すように剣を振るう。だがほとんど手ごたえはなく、かろうじて当たった魔物もいたが、
狙いが定まっていない為たいしたダメージは与えられなかった。
「グアッ!」
いきりたったトロルが反撃してくる。アスルには何匹ものトロルが一斉に自分に殴りかかってきたように見え、
かわそうにも何処へ逃げてよいのか判断できず、まともに強力なパンチを受けてしまった。
「うわぁ!!」
「アスルさんっ!!」
エレナは急ぎアスルに駆け寄り回復しようとした。が、
「や、やめなさいラン!くっ…!!がはっ!」
レオンがランからの攻撃を受けている。素早く強力な攻撃の連続に手も足も出ない様子だ。
「レオンさん!!」
エレナは素早くアスルに回復呪文をかけた後、レオンの元へ行きレオンの傷も回復させた。
「すみませんエレナ…ですが貴方は下がっていてください、ランの側にいては危険です!」
レオンがそう言い終わるか終わらないかのうちにランの拳が飛んできた。
「!」
レオンはどうにかそれを杖で受け止めたが、強い衝撃を受け思わず杖を取り落としてしまう。
「レオンさん、大丈夫ですか!?」
「大丈夫、です!さぁ、早く向こうへ…!」
エレナはそう言われて、戸惑いながらもその場から離れた。

アスルの剣は偶然命中したことによって何匹かの魔物を斬っていたが、
その分アスルは倒れた魔物の数に見合わない傷を負っていた。
「アスルさん!今、回復を……」
「駄目だ!来るな、エレナっ!」
駆け寄ってくるエレナを静止する。
「えっ……」
ピタリと足を止めるエレナ。
「ぼくは平気だ!!君は安全な場所へ隠れていてくれ!!」
アスルの言葉に、エレナの目が見開かれる。
「…そんな…それじゃ……」
――それじゃ、わたしはただのお荷物…役立たずってことですか…!?――
喉まで出てきた言葉を飲み込む。解っている。こんなことを言われるのは、あんなことがあったから。
アスルもレオンも、あの悪夢が繰り返されることを恐れているのだ。
――でも、でもわたしだって戦いたい…!みんなを助けるために、守るために…!――
いつの間にか、魔物たちの数が増えている。戦いの音や血の匂いに引き寄せられたのだろう。
――わたしには、出来ないの!?メガンテを使う事でしか、みんなを守れないの!?――
レオンに拳を振るい続けるラン、ランと魔物たちの攻撃を受け、倒れるレオン。
闇雲に剣を振るい続け、足元がふらついている満身創痍のアスル。
それらの姿がぼやけてゆく。いつの間にか涙が溢れていた。
――みんなを、守りたいっ……!!――
エレナは目を閉じた。
やはり、弱い自分にはこうすることでしか大切な仲間を守ることは出来ないのかもしれない……
エレナの頭の中でゆっくり頭をもたげる『禁呪』。
だが、その時――

――わしはお前さんを試してみたい…――
ユトの顔が
――今度はあなた方の寿命が尽きた時にまた会いましょう…――
マユカの顔が
――わたしたちは心配でならないのです…――
――絶対メガンテ使わないでね!――
レオンの顔が ランの顔が
――もう一度君を信じる。今度は絶対、約束を守ってくれるね?――
そして、アスルの顔が。
みんなが、自分を思ってくれている実感が。
急速に頭を巡った。
"メガンテ"という言葉を押し流すかのように。
――そう…そうだわ――
顔をあげる。そこに浮かんでいたのは、何かを決意したような表情だった。

複数の手をもつ地獄の騎士に何度も斬りつけられたアスルは、ついに倒れたまま立ち上がれなくなっていた。
「くっ…ホ、イ…」
なんとか自分自身を回復しようとした時、急速に体の痛みが薄れていくのを感じた。
「――エレナ!?」
エレナが自分にベホマをかけたのだということがわかり、アスルは慌てて立ち上がる。
「どうして…隠れてろって言ったじゃないか!」
「いやです」
キッパリと言い放ち、微笑む。そのエレナらしからぬ態度にアスルは戸惑った。
エレナは今度は、レオンのところへ駆け寄る。
「ん……」
気を失っていたレオンは、エレナの回復呪文によって意識を取り戻した。
「はっ……エレナ!」
「大丈夫ですか?」
「すみませんエレナ…ですが、貴方は早く…!」
「このままではみんなやられてしまいます!黙って見てるなんてこと…出来るわけないじゃないですか」
エレナはそう言うとランの方を見た。ランの瞳はやはり殺意に満ちていた。
だが、エレナにはその瞳が助けを求めているように見えた。
「ラン…」
「いけませんエレナ、早く逃げなさい!!」
レオンは叫んだが、その時にはランは既に恐るべきスピードでエレナに接近していた。
「!!」
キックが風を切る音に思わず目をつぶる。次の瞬間、エレナの身体は壁に叩きつけられていた。
「きゃぁぁっ!!」
体中に激痛が走る。
「エレナー-っ!」
レオンの叫ぶ声もはるか遠くから聞こえてくるようだった。
やっとの思いで半身を起こし、再びランを見る。エレナと目が合うと、ランは拳を振りかざし、
勢いよくエレナの方に向かってきた。
――なんとか…ランの動きを封じることが出来ないかしら……――
エレナは考えた。ランを傷つけることなく、動きだけを止める手段――
「あ…っ!!」
エレナの頭を一つの呪文がよぎった。僧侶にとっては初級の呪文、けれど今までどれほど
役に立ったか知れない、その呪文。
敵に使うことしか考えたことがなかったが、これならば――
「ラリホー!!」
ランの拳が今正にエレナに命中しようとする寸前、エレナはその呪文をランに向けて唱えた。
「――!」
急速に勢いを失い、ランはまるで打ち落とされた鳥のように力なくその場に倒れた。
「……」
恐る恐る、ランの頬に触れてみる。だが、反応することはなく、ランは規則正しい息をしながら
ぐっすり眠り込んでいた。
「や、やったわ…」
「エレナ!」
レオンが急いで駆け寄ってくる。
「…ラリホーでランを眠らせるとは…わたしも考え付きませんでしたよ。よくやりましたね、エレナ!」
レオンの言葉に、エレナは少し照れたように微笑む。
そして立ち上がり、孤軍奮闘しているアスルに目をやった。
「レオンさん…ランを安全な場所につれて行ってあげて下さい。それから、
残りの魔物たちを…お願いします!」
そう言って再びアスルのほうへ駆けて行った。
「は、はい!」
レオンは今までと何か違うエレナに戸惑いを覚えたが、すぐさまランを抱きかかえると
少し離れたところにある岩の影へ運び、寝かせた。
そして杖を手にとり、殺気立っている魔物たちに向けて構えた。
今まではランを巻き込んでしまう恐れがあったため反撃らしい反撃が出来なかったが、
今度は存分に戦うことが出来る。
「ベギラゴン!!」
杖の先から渦巻く炎が発せられた。
「グアギャァァ!!」
炎に包まれた魔物たちがのた打ち回る。レオンは間髪いれずもう一度呪文を唱えた。
「イオラ!」
爆発が起こり、暴れていた魔物たちが吹き飛ばされる。
「バギマ!」
今度は真空の渦が魔物たちを切り裂いた。立て続けに発せられる呪文に魔物たちは手も足も出せなかった。

「はぁ……はぁっ……」
連続で呪文を唱えた為力を一気に消費し、レオンは思わず膝をつきそうになる。
が、なんとか気力を振り絞り、わずかに生き残っている魔物たちに向けて杖を構えなおした。その時。
「!?」

ガラリ…

小さな音がしたかと思うと、突然岩が崩れ落ちた。レオンが連続で唱えた呪文は岩にもダメージを
与えていたようだ。幸い、崩れたのはその一部の岩だけで、洞窟全体には何ら影響はなかったが、
レオンの表情は凍りついた。なぜならその岩の真下にランを寝かせていたからだ。
「ラン!!」
岩の下敷きになったランを助け出そうとするも、
「ウガァーー!!」
瀕死のトロルが行く手を阻む。
「うっ…!!」
首を掴まれた。その手に力が入れられ、息が詰まる。
「くっ…ぅ…ぅ…」
呪文を唱えようにも声が出ない。意識が遠のきそうになる。もうこれまでかとレオンが思った時だった。
「でいりゃぁぁぁーー!!」
崩れ落ちた岩山の中から勢いよく飛び出してきた者がいた。
「ふぅっ……あれっ、あたし、どうしたんだっけ…?」
キョロキョロ辺りを見回す。周りには魔物たちの屍が転がっていた。そして…
「あっ!!」
レオンが手負いのトロルに首を締められているのを見つけたランは、
「このやろーっ!!レオンを放せーっ!」
勢いよく駆け出し、トロルの後頭部を力の限り蹴り上げた。
「ガ……グァ……!」
トロルの巨体が砂煙を上げて前のめりに倒れる。そしてそのまま、再び動くことはなかった。
ふいにトロルの手から開放されたレオンも背中を強く地面に叩きつけられたが、ぜいぜいと
激しく息をしながらも膝をつき、なんとか起き上がった。
「レオン、大丈夫!?」
駆け寄ってきた少女に、レオンは目を丸くした。
「ラ、ラン…貴方…」
「ん?どったの?」
きょとんと首をかしげるランの目にも、表情にも殺意は感じられない。
「メダパニが、とけたのですね!!」
「え?メダパニ…?…そっか、あたし…!!」
ランはぼやけた記憶を整理し、ようやく自分がメダパニにかけられていたことを思い出した。
「しかし、ランの方こそ大丈夫なのですか?岩の下敷きになったのに…」
レオンが心配そうに尋ねた。だがランは体中に擦り傷を作っているものの、けろりとしている。
「平気平気、あたし鍛えてるから!まぁ、頭にぶつかったのはちょっとイタかったけどさ…でも、
なんかヘンなの、スッキリした感じ」
「――そうか!」
ランの言葉にレオンはハッとした。
「岩にぶつかった衝撃で、メダパニが解けたに違いありません!いわゆるショック療法の要領なんですよ!」
「えっ?そんなんでとけるもんなの?メダパニって…」
ランは拍子抜けしたような声をあげる。それから、自分がメダパニにかかったことで招いた
かつての悲劇を思い出す。
「はっ……そういえば、エレナは!?」


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