My Dear Father・1

「……わたしと、結婚してくれ」
 その言葉は確かに自分のすぐ前から聞こえた。うつむいて、目をかたくつむっていたフェンネルは
驚いて顔を上げる。
そこには…間違いなく愛しい王子――オレガノがその瞳にフェンネルの姿だけを映して立っていた。
「王子様…わ、わたし…」
フェンネルは一度にこみ上げてきた驚きと戸惑い、そして喜びに立っていられなくなり、その場にぺたんと
へたりこんでしまった。
「フェ、フェンネル!?しっかりしろ!」
慌ててオレガノはしゃがみ込み、フェンネルの肩を揺さぶる。フェンネルはしばらくぼーっとあらぬ方向を
見つめていたが、突然自分の頬を思い切りつねった。
「い、いたたたたたた…」
「おいフェンネル、何を…!?」
「いった〜い……でも、痛いってことは…」
オレガノの方を振り返り、はにかんだ笑顔を見せる。
「夢じゃ、ないんですよね! 」
「…フェンネル…!」
わあっと歓声が上がった。他の王子達や有権者の娘達を筆頭に拍手が巻き起こり、オレガノとフェンネルの
二人を祝福した。
「新しい王と王妃の誕生じゃ!」
キングヘンリーが叫ぶと、拍手は更に大きくなり、その渦の中でオレガノとフェンネルは互いに顔を見合わせ、
微笑み合った。
 

 

「フェンネルや」
聖堂で神に祈りを捧げていたフェンネルに年老いた司祭が声をかけた。
「司祭様!」
フェンネルは祈りを中断すると、聞き慣れた優しく穏やかな声の持ち主の元に駆け寄った。
「どうなされたんですか?こんな夜遅くに…早くお休みになられないと」
「いや…なんだか眠れなくてな」
そう言うとフェンネルの育ての親である老司祭は、慈愛に満ちた微笑みを浮かべた。
「お前こそ、早く休みなさい。風邪でもひいたら、オレガノ王子様が心配なさるだろう?」
「し、司祭様ったら!」
オレガノの名が出ると、フェンネルは顔を赤くしてうつむいた。司祭はそんなフェンネルをにこにこ笑いながら
見つめていた。
「ところで、結婚式の日は決まったのか?」
「え…あ、いえ、まだですけど…」
「そうか、それならば15日にしたらどうだ?」
司祭の提案に、フェンネルはきょとんと首を傾げた。
「15日?どうして?」
「これ、お前は自分の誕生日も忘れたのか」
司祭は思わず苦笑する。それを聞いたフェンネルは、はっとした表情を見せた。
「あっ…!そういえばそうでした!」
「全く、お前らしいな。…とにかく、誕生日に結婚式をやれば、最高の記念になるのではないかな?」
「そっか、そうですね!わぁ…そんな素敵なこと思いつくなんて、さすが司祭様だわ!」
 
1月15日――それはフェンネルの誕生日だった。…いや、“誕生日ということになっている”といった方が
良いだろう。なぜなら彼女は……。
「そっかぁ…もうすぐ19歳になるんだ、わたし…」
信じられないとでも言うように、フェンネルは嘆息混じりに呟いた。
司祭も、昔を思い起こすように目を閉じる。
「早いものだ、天空の塔の前で泣いていた赤ん坊を拾ったあの日から、もうそんなに経つのだな……」
「…司祭様…」
「少しばかりぼーっとしていることは多いが、神の教えに素直で、明るい娘に育ってくれた。おかげで一人の
王子に愛され…一国の王妃になろうとはな……」
しみじみと語る司祭は、穏やかな笑顔をたたえてはいたが、その瞳はどこか寂しげだった。フェンネルは、
それに気付いていた。そして、その理由にも……。
けれど彼女には司祭にかけるべき言葉が見つけられず、ただ黙ってその横顔を見つめることしかできなかった。
「さぁフェンネル、ここは冷える。もう寝なさい、本当に風邪をひいてしまうよ」
「あ、し、司祭様……」
フェンネルは何か言わなければと必死に言葉を探したが、結局何も言えず、司祭に促されるままにままに
奥の自室へと戻らざるを得なくなった。


冷え冷えとした空気に満たされた聖堂に一人残った司祭は、胸の前で手を組み、神像に向かって呟いた。
「神よ…どうか、あの娘を幸せにして下さい……」
 
 

 

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