My Dear Father・2


「王子様!!」
「うわぁっ!!」
ノックもなしにドアが勢いよく開いたので、オレガノは思わず肩をビクッとふるわせてしまった。
「あっ…ご、ごめんなさい…テヘヘ…」
フェンネルはげんこつで自分の頭を軽くこづいた。
「フェンネル…どうしたんだ、一体」
「あ、あの実は…ですね……」
顔を赤らめてもじもじするフェンネルを見ていると、驚かされたことに対する腹立ちなどはすっかり
消え失せてしまった。
「なぁ、フェンネル?もう“王子様”は止めないか?」
「あら、どうしてですか?」
首を傾げるフェンネル。
「どうして、って…わたしはもうすぐ、国王として即位するわけだし…それに、わたしたちは結婚するんだぞ?
少し、他人行儀じゃないか?」
頬をぽりぽり掻きながら、少し照れくさそうにオレガノは言った。だがフェンネルは、
「でも、わたしにとってはいつまでも王子様ですもの♪もうしばらくは、王子様って呼ばせて下さい」
無邪気に微笑みながら言われては為すすべはない。オレガノは苦笑するしかなかった。

「ところで、何の用だったかな?」
フェンネルが何か言いかけていたことを思い出し、たずねる。
フェンネルは、あっ、と小さな声をあげると、再び顔を赤くしながら口を開いた。
「け、結婚式のこと…なんですけど…」
「あぁ、そういえばわたしもそのことで、一つ提案があるのだ」
オレガノがぽん、と手を打った。
「え?どんな、ですか?」
「いや、君から言うがいい」
「え、は、はい。あの、日にちのことなんですけど…」
「日にち…?わたしの提案もそれに関することなのだが、もしかして…」
「え、じゃぁ…」
  『“15日にしよう”ってことですか?
                           ことか?』
二人の声が見事に重なった。
「……王子様も、わたしの誕生日に合わせて下さるおつもりで……?」
「そう、だが…」
「わぁ…嬉しい!みんなわたしの誕生日を覚えてくれているんですね!」
「え?みんな、って?」
フェンネルの言葉に疑問を抱いたオレガノが訳を聞くと、フェンネルはにこにこしながらゆうべの
司祭との会話のことを話した。
「さすが司祭殿だな、娘のことをよく考えておられる」
「娘……」
その言葉にフェンネルはふっと目を伏せた。
「どうした?」
「あっ……な、なんでもないんです」
だがすぐに元の笑顔に戻ると、手振りを交えて大袈裟に首を振る。その子供のような仕草にオレガノは
思わず吹き出してしまった。
「もうすぐ19歳か…とてもそうは見えないな」
その言葉にフェンネルは少し頬を膨らませた。
「まぁ、王子様ったらどういう意味です?わたしももう、大人なんですからねっ」
「はは、わたしから見ればまだ子供だな」
「もう!王子様だってわたしと二つか三つしか違わないくせに」
二人はお互いに顔を見合わせて笑い出した。
去年一年だけでも何度こうして二人で笑い合っただろう。時には涙を流したこともあり、小さないさかい事も
いくらか合った。けれど、それらを乗り越え愛し合った二人は、こうして結ばれることが出来たのだ。
これから先も二人は笑いながら手を取り合って生きていくことだろう。幸せそうな二人の笑顔がそう物語っていた。

「あ、あの!王子様!」
不意に、フェンネルの表情が真剣になる。
「ど、どうした?」
「お願いがあるんです…」
フェンネルは、今自分が本当に幸せであると実感していた。しかし、ひとつだけ気にかかることがあるのだ。
それは……。
「なんだ?言ってごらん」
「…わ、わたしたちの結婚後、司祭様を…お城に迎え入れて下さいませんか!?」
「司祭殿を!?」
オレガノは予想もしていなかったフェンネルの言葉に思わず大きな声を挙げた。
「は、はい!わたしがいなくなったら司祭様はひとりぼっちになってしまいます…
 わたしたち、今までずっと二人で暮らしてきたんです。きっと寂しがると思うんです、
 だから……どうか、お願いします!!」
フェンネルは深々と頭を下げた。
「…フェンネル…」
オレガノはしばらく考えていたが、やがてフェンネルに顔を上げさせると、優しく微笑みかけた。
「わかった。君の望み通りにしよう」
「ほ、本当ですか!?よかったぁ!ありがとうございますっ!!」
フェンネルの顔が明るく輝く。しかしオレガノはそんなフェンネルに対して更に言葉を続けた。
「だがフェンネル、司祭殿がそれを受け入れて下さるとは限らないぞ。司祭殿までがこちらに来れば
教会はどうなる?彼が教会をたたむとは考えられないが……」
その言葉にフェンネルは顔を曇らせた。だがすぐに、首を横に振る。
「とにかく!お伝えしてみなければ分かりません、わたし、早速司祭様にお伝えしてきます!」
言い終わるか終わらないかのうちにフェンネルは部屋を飛び出した。
「あっ!おい……」
後に残されたオレガノは、難しい顔つきで小さく溜息をついた。
 

 

教会に戻ったフェンネルが扉を開けると、司祭が聖堂の掃除をしていた。
司祭はフェンネルに気付くと、いつもの慈愛に満ちた微笑みを浮かべて近づいてきた。
「結婚式はここで行うのだろう?それまでにきれいにしておかなくてはな」
「司祭様…」
フェンネルは自分に示される司祭の深い愛に感激しつつも、今まで与えられ続けていたそれに対し、
何も返せないままここを出ていくことは許されることではない、という想いがますます強くなるのを感じた。
「司祭様、聞いてください!わたしとオレガノ王子様が結婚した後、司祭様も一緒に、お城に住んで下さい!!」
「な……!?」
あまりに唐突なフェンネルの言葉に、司祭は目を丸くした。
「だ、だって…わたしがでていったら司祭様一人になってしまうでしょう?だから、一緒に来て欲しいんです。
それで、今までみたいに、これから先もずーっと、一緒に暮らしましょう!」
司祭はただ黙ってフェンネルを見つめながらその言葉に聞き入っていた。
数十秒の沈黙――。
「……せっかくだが、それは出来ない」
重く開いた口からは、オレガノの予想通りの言葉が発せられた。
「そんな!!どうして!?」
「この教会を閉めるわけには行かない。ここには悩める人々が沢山やってくる。わたしには、その人たちの
話を聞き、その悩みを取り除いたり和らげたりするという大切な仕事があるのだ」
司祭はフェンネルに背を向けて言い放った。
また沈黙が続く……。次にそれを破ったのは、フェンネルの嗚咽だった。
「フェンネル!?」
司祭がはっと振り向くと、フェンネルの瞳からは大粒の涙があふれ出していた。
「……でもっ…でもわたし…司祭様を、ひとりぼっちになんか出来ない…!あなたはわたしを、本当の娘の
ように…ううん、本当の娘以上に、愛し、可愛がってくれた…ここまで育ててくれた…わたし、捨て子だった
なんて事忘れちゃうぐらい幸せだった……それは、あなたの暖かい愛情にいつも包まれていたから…
それなのに、わたしはあなた対して何も返せてない!このまま、あなたと離れるなんて、薄情すぎます…
そんなの、イヤです――!!」
そこまでいうとフェンネルはわっと顔を覆い、声を挙げて泣き出した。
司祭は、胸の奥が熱くなるのを感じる。
「フェンネル…お前は優しい子だ…」 
その肩を抱き、司祭は言った。
「その気持ちだけで十分だ。気にせず、お城へ行きなさい。大丈夫だ、お前がいなくても、この教会を
訪ねてくれる人々が沢山いる。寂しさなど、感じる暇はないのだから…」
「…しさい…さ、ま…っ」
フェンネルがしゃくり上げながら顔を上げると、目の前にはいつも見ていた、司祭の穏やかな笑顔があった。
「それに、離れて暮らすようになるとはいえ、城と城下町…いつでも会うことは出来るだろう?」
司祭はフェンネルの頭に手を置き、子供をあやすように撫でた。
「さぁ、もう泣くのはおやめ、お前も15日に向けて準備しなければならないことが多いだろう。
ほら、いつもの笑顔はどうした?」
「…は、はい…」
フェンネルは、涙を拭い、微笑んだ。――いや、微笑もうとした。
しかし、その瞳からあふれるものは止まらなかった。
「……っ!」
フェンネルは耐えきれなくなり、司祭に背を向けると聖堂を飛び出した。
「あっ…!フェンネル、待ちなさい!!」
司祭の静止の声は、広い聖堂にむなしく響いただけだった。
「フェンネル……」
司祭は悲痛な面もちで、開け放たれたままの扉をしばらく見つめていた…。
 

 

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