My Dear Father・4

 

「――というわけで、頼まれてくれるか?」
「当たり前よ、オレガノお兄ちゃんの頼みだもん。まかせて♪」
アンゼリカは人差し指を立ててウィンクして見せた。
「すまないな。いつもいつも、君には頼りっぱなしで…」
オレガノは、去年一年の選挙期間中、自分を含む四人の王子をサポートし続けてくれた
妹分の少女に、心からの感謝の意を示した。
「そんなこと気にしないでよ、お兄ちゃんたちを助けるのがわたしの役目だったんだもん。それに…
これが、お兄ちゃんのために出来る、最後の仕事になるし……」
少し寂しそうに俯くアンゼリカ。
「そうか…国に帰るんだったな…」
アンゼリカが実は隣国の王女だと聞かされたのは、選挙が終わってからのことだった。
「うん、キングヘンリー様は“まだここにいればいいぞよ”と言って下さったんだけどね…でも、そもそも
わたしがここに来たのって、一国の女王になるために、沢山、いろんな経験を積む為だったの。
わたし、去年一年で、もう何年分もの経験をした気がするんだ。恐いことも、すっごくドキドキして、
楽しいことも、数え切れないぐらいいっぱいあった…」
アンゼリカは一呼吸おくと、顔を上げてにこっと微笑んだ。
「でも、一番良い経験はね、オレガノお兄ちゃんとフェンネルさんに教えてもらったことなの」
「え?どういうことだ?」
その言葉の真意を測りかねて、オレガノは首を傾げた。
「フェンネルさんが天界の人だってこと、わたし、お兄ちゃんがフェンネルさんに教えてもらう前に、
マジョラム様から聞いて知ってたの。わたし…そのことを知った時、お兄ちゃんはどうするんだろう、
って思った。だってお兄ちゃん、フェンネルさんのこと好きだったみたいだし…フェンネルさんが
“普通の人間じゃない”って知ったら…お兄ちゃんの気持ちはどう変わるんだろう、って…」

そう、フェンネルは元々天界人だったのである。約20年前に天界で起きた反乱は、王家の血を引く者
全ての命を危険にさらした。生まれたばかりの赤ん坊だったフェンネルも、その血をわずかながら
受け継いでいたため、急いで地上に逃されたのである。
そして、その赤ん坊を見つけた司祭が、哀れに思って引き取り、娘として育てたのだ。

「でも、お兄ちゃんの気持ちは変わらなかった。ううん、それどころか、ますますフェンネルさんを…」
「ああ…正体が何であれ、フェンネルはフェンネルだからな」
オレガノは少し誇らしげに、力を込めて言った。
「うん、それにフェンネルさんも、天界に戻ることより、お兄ちゃんと一緒にいることを選んだわ。
種族の違いなんて、関係なかった。わたし、そんな二人を見て分かったんだ。人間は人間としか
愛し合えないなんて事は誰かの勝手な思いこみに過ぎない。大切なのはお互いの気持ちなんだ、ってこと」
アンゼリカは、青い空を見上げた。
オレガノは、妙に大人びて見えるその横顔に少し戸惑いを覚える。
「わたしの国と、先祖同士がいがみ合ってたから、って理由で対立してる国があるの。でも…
パパに言うわ、もう止めて、仲良くしようって。だってお互いに抱いている憎しみは、ご先祖様たちの
気持ちで、自分たち自身の気持ちじゃないんだものね。でももし、聞いてもらえなかったら、
わたしが女王になったときに頑張ってみるわ。…ちょっと、不安だけど……」
「アンゼリカ…」
しっかりしていても、まだ14,5歳の少女である。だがその小さな肩には、一国の重みが既に半分以上
のしかかっているのだ。その不安は、計り知れないことだろう。オレガノは、それを少しでも取り除いて
やりたいと思った。
「大丈夫だ」
「え…お兄ちゃん…?」
アンゼリカの肩に、オレガノの手が置かれていた。
「君の父上なら、君が成長を果たしたことを喜んで、必ず聞いて下さるだろう。それに万が一聞いて
もらえなかったとしても、君ならば必ず出来る。きっと、立派な女王になれる」
確信に満ちたオレガノの言葉に、しばし不安に曇っていたアンゼリカの表情は再び明るく輝く。
「うんっ!ありがとう、お兄ちゃん!」
 

――そう、大切なのはお互いの気持ち。フェンネル…何も迷うことはないんだ。君と司祭殿、
二人の気持ちは同じなのだから…――
オレガノは心の中で呟くと、アンゼリカと共に教会へ向かった。
 

 

式が始まった。教会は、次期王と王妃を祝福する来客で満員だった。
司祭は、神父として進行役を務めている。

――誓いの口づけが交わされ、割れんばかりの拍手がおこった。その中で嬉しさと恥ずかしさに
真っ赤になったフェンネルを、司祭は優しい眼差しで見つめた。
――おめでとうフェンネル…よくここまで成長してくれたな…――
こみ上げてくるものを抑えながら、司祭は養父としての役目の終わりの時を実感し、一抹の寂しさを感じる。
その時だった。
「ではここで、フェンネル様より、司祭様への御言葉を頂きま〜す!」
最前列でキングヘンリーや他の三人の王子たちと共に式を見守っていた、アンゼリカが立ち上がり、
そう言うとフェンネルの元に進み出た。
会場はにわかにざわめき始める。司祭も突然のことにただ目を丸くするだけだった。
「王子様…」
フェンネルがオレガノの方を見ると、オレガノは微笑んで頷いた。
「さぁ、フェンネル様」
アンゼリカがそっと背中を押す。少し緊張した面もちのフェンネルだったが、意を決したように頷き…
そして、司祭に向き直る。

――ざわめきが止んだ。皆がフェンネルの言葉を待ち望んだ。
「……お父さん」
「!!」
司祭の表情が驚きに彩られる。
フェンネルは少し照れながら言葉を続けた。
「ずっと、こう呼びたかった…。でも、口にはなかなか出せなかったけど…わたし、あなたのこと
本当のお父さんだと思ってました。そして、それはこれからも変わりません…」
「フェン…ネル…」
抑えていたものが、一気にこみ上げてくる。もう、これ以上押し殺すことは出来ない。
司祭の両目からは熱い涙があふれ出した。
「お世話になりました、なんてありきたりの言葉しか言えないけど…わたしは本当にあなたに
感謝しています。いつも優しく…あ、ちょっと、お小言も多かったけど…と、とにかく、わたしを
育ててくれたこと、忘れません…」
来客たちも皆フェンネルの言葉に聞き入っている。中には司祭と共に涙を流す者もいた。
「お父さん…今まで、本当に…」
「フェンネル…」
「今までありがトーテムポール!」
どっかーーん!!
フェンネルを除くその場にいた者全員が派手にずっこけた。
「あれ?みなさん、どうなされたんですか?」
きょとんと首を傾げるフェンネル。
「フェ…フェンネル…ッ…君は、こ、こんな時にまで…」
オレガノは痙攣している。フェンネルはちょろっと舌を出して言った。
「えへへっ、ごめんなさい♪つい、いつもの癖で…」
「はぁぁぁ……」
もう突っ込む気力もなくしたオレガノは、頭を抱えて深い溜息をついた。

「…ふ……」
「?」
司祭の様子がおかしい。俯いて、小刻みに肩をふるわせている。
「お、おいフェンネル、司祭殿を怒らせてしまったのではないのか?」
「た、大変!どうしましょう…あ、あの…司祭様?ごめんなさい、わたし…」
フェンネルはあわてふためいて、司祭の顔色を恐る恐るうかがおうとした。
「ふはーっははははははは……」
「し、司祭様!?」
突然気でもふれたかのように笑い出した司祭に、一同は唖然となった。
「フェ、フェンネル…お前、本当に…こんな時にまで…はははははは…」
「えっ?そ、そんなに面白かったですか!?」
嬉しそうに目を輝かせるフェンネルの横で、オレガノはフェンネルに聞こえないように小さく呟いた。
「…そんなわけないだろう……」


  しばらくの間、司祭とフェンネルは二人で笑い続けていた。
その笑い声が、ここ数日の間に二人の間に生じたわずかなわだかまりをすっかりかき消してくれる。
今二人は感じていた。自分達が確かに“親子”であると言うことを。

「フェンネル。わたしもお前を本当の娘だと思っている。そのことは忘れないでおくれ」
司祭は改めて、“娘”の成長した姿を見回すと、満足そうに頷いた。
「はい、司祭様…いえ、お父さん!わたし、これからも毎日会いに来ますね!」
「お、おいおい。わたしのことも考えてくれよ。君はわたしの妃なんだぞ」
オレガノが口を挟むと、フェンネルはにっこり笑っていった。
「じゃあ、王子様も一緒に行きましょ♪」
「…あ、あのな…そーゆー問題じゃ……いや、もういい…」
オレガノはもう何も言う気力な無くなり、首を振った。

人々からは再び大きな拍手が巻き起こった。

鐘の音が鳴る。白い鳩の群れが、教会の屋根の上を羽ばたいていく。
天界から地上に舞い降りた天使――フェンネル・ナスタチウムは、この日ハーブランド王国の
次期王、オレガノの妃となった。国中の人々、そして“父”に祝福されながら……。
 

――そしてこの日は、彼女の19歳の誕生日でもあった。

 

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