Alive(2)

ノイッシュと約束したこともあり、帝国軍に見つかる危険性は頭に入れて
高度は低めに保っていたが、久々の空中散歩による開放感は
フュリーに少しばかり我を忘れさせた。
気づけばそこは既にシレジアではなかった。
国境を越え、イザークの領空にまできていたのだ。
「いけない…少し遠くに来過ぎたみたい。ノイッシュに怒られちゃうわ」
フュリーは慌てて引き返そうとしたが、ふと下方を見ると、
森に囲まれた中に村らしきものがあるのが分かった。
背中の娘を顧みると、安らかな寝息を立てて眠っている。
もはやとても病に冒されているようには見えないが、
念のため医師の診断を仰いだ方が安心できる。
―――あの村にもお医者様はいるわよね…小さな村みたいだから
帝国兵が駐留してる危険性も少なそうだし…―――
フュリーは一人頷くと、天馬の高度を少しずつ下げていった。
村に直接降り立ったのでは目立つし、木が多い場所には天馬を着地させられない。
村から少し離れた木の少ない場所を選んで降り立ち、茂みの奥に天馬を待たせて、
防寒用に羽織っていたマントのフードを念のために目深にかぶる。
そしてフィーをしっかりと胸に抱いて、村を目指した。


ふと、何かが聞こえた気がして立ち止まる。
風の音かとも思ったが、耳をすませてみるとそれは歌声だということが分かった。
春の日差しにも似た、温かく包み込むような澄んだ声にどこか懐かしさを覚えながら、
フュリーは思わず聞き入った。
―――この歌…子守唄だわ…―――
気づけばフュリーの足は、導かれるように歌声が聞こえてくる方へと向かっていた。
近づくにつれて、その内容もハッキリ聴き取れるようになった。
同時に妙な胸騒ぎを覚え、フュリーの鼓動は不規則になってゆく。そして
ついに視線の先に歌声の主をとらえた瞬間、それはひときわ大きく音を立てた。

その人物は、大きな切り株に腰掛け、腕に抱いた小さな赤ん坊に語りかけるように
歌っていた。緩やかな波を描いた金色の髪や透き通るような白い肌は、木漏れ日を
受けて一層輝いているようだった。粗末な服装をしていているにも関わらず、
決して失われない凛とした気品を身にまとっているように見えるその女性に――
フュリーは、見覚えがあった。
「まさか…!」
フュリーはその姿をよく見ようとフードを無造作に頭の後ろへと追いやり、はやる気持ち
とは裏腹になかなか動かない足を引きずるようにしてゆっくりと近づいてゆく。
「―――!誰かいるの!?」
フュリーが小枝を踏んだ音を聞きとめた女性は、歌を止めて立ち上がり、
反射的に赤ん坊を守るように抱きしめながら警戒心をあらわにする。
だが、呆然とした表情で近づいてきた人物を見た瞬間、
トパーズを思わせる瞳が大きく見開かれた。
「……フュ…リー…!?」
「エ…ディン様…」
目が合うまでは、他人の空似かもしれないと自分に言い聞かせていた。
だが、相手も自分の名前を呼んだことで、目の前にいるのは間違いなくその人物だと
いうことが証明された。瞬間、フュリーは駆け出していた。相手も同様だった。
「エーディン様!!」
「フュリー!!」
二人はもう一度、今度ははっきりと互いの名を呼んだ。
共に赤ん坊を抱いていたため抱き合うことはなかったが、これが夢ではないことを
確かめるかのように強く手を取り合った。
「ああ、フュリー…本当にフュリーなのね…良かった、生きていたのね…!」
「エーディン様…エーディン様こそ、よくご無事で……っ!!」
二人の頬を、再会の喜びに溢れ出した熱い涙が伝う。
その雫は、それぞれの腕に抱かれた小さな天使たちの頬にも滴り落ちた。
そのためか、それとも母親のただならぬ精神状態の変化を感じ取ったのか、
眠っていたフィーがぐずぐずと声をあげ始め、再び泣き出してしまった。
そしてそれは、エーディンが抱いていた赤ん坊も同様だった。
「ああ、ごめんね、フィー。お母さん、大丈夫だからね…」
「ラナ、母様は悲しくて泣いているのではないのよ。
大切なお友達にまた会えたのが嬉しいのよ…」
フュリーとエーディンはそれぞれの天使に語り掛け、
優しく身体をゆすってあやす。それから、互いに顔を見合わせた。
「その子…フィーっていうの?可愛いわね」
涙をぬぐい、エーディンが微笑む。
「あ、はい。二人目の子です…。エーディン様のその子…ラナちゃん、もですか?」
フュリーはエーディンが抱いている赤ん坊を改めて見た。白い産着にくるまれた身体の大きさは
フィーと同じぐらいで、フィーとほぼ同時期に生まれたのだろうと分かる。
「ええ…そうなの…」
エーディンの顔がふいに曇った。そして、ぽつり…と呟いた。
「この子の父は…アゼルは、この子の存在を知らないのだけどね…」
エーディンの言葉に、フュリーは心臓に刺すような痛みを覚えた。
「…アゼル様…は…?」
エーディンは静かに首を振る。
「あの時離れ離れになったまま…まだ行方が…生死さえ分からないわ…」
1年余りという時は、惨劇を冷静に思い起こすには短すぎた。
フュリーもエーディンも、脳裏に蘇る悪夢に震えを止められなかった。
それでもエーディンは、ゆっくりと、自分が今ここにいるいきさつを話し始めた。

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