Alive(5)


帝国軍は、間もなくシレジアを征服せんと動くに違いない。
それはラーナにも、フュリーにも分かっていた。フュリーはラーナとシレジアを
守るために城にとどまり、帝国軍と戦いたかった。
だが、そのためには自分はあまりにも無力なことも、痛いほどに分かっていた。
一家臣である自分を娘のように気にかけてくれた、敬愛する王妃の想いを
無駄にするわけにはいかない…何度も自分に言い聞かせ、涙を必死に
押さえ込み、唇を強く噛み締めて。フュリーはシレジア城を後にした。


間もなく、フュリーは自分の中に新しい命が宿っていることを知る。
不安定な暮らしの中でもう一人子供を産み、育ててゆくことに不安もあったが、
ノイッシュの愛情に支えられ、その命を育んでいった。
だが、臨月も近くなったある日、あまりにも衝撃的な知らせが
訪れたシレジアの天馬騎士からもたらされた。

シレジアが帝国に征服され、そして…ラーナは自害した―――と。

天馬騎士は一通の手紙を携えていた。
それはラーナから、フュリーに宛てた手紙。
死の直前にしたためられたものだった。

―――フュリー、本当にごめんなさい。
貴方たちには生きろと言っておいて、勝手なことをと思うでしょうね。
けれど、こうするより他にシレジアの民を守る手段はないのです。
戦えば多くの犠牲が出ます。わたくしは帝国軍に、隷属とわたくしの死を条件に
民の命の保証を約束させました。苦しみを強いてしまうことには変わりないけれど、
わたくしはシレジアの民に生きて欲しいのです。
かつての平和が戻るその日まで、生き長らえて欲しいのです。
帝国は、わたくしが死ねばシレジア王族の血は完全に絶たれると思っています。
服従し、後継者もいなくなった国からは、帝国の目はある程度そらされるはずです。
貴方たちも少しは暮らしやすくなるでしょう。
フュリー、どうか悲しまないで。…今、不思議なことがおきました。
窓のないこの部屋に、温かく優しい風が吹き抜けたのです。きっとレヴィンが
生きているということを、風使いセティが知らせてくれたのだと思うの。
貴方たちの子がシレジアという国で生まれたことを、そしてそのシレジアを築いた
神の名をもらったことを誇りに思ってくれる日が来ることを願っています…―――


「…ごめんなさい、辛いことを思い出させてしまったわね…」
エーディンは自身も涙を浮かべながら、母のように慕っていた王妃を思い出して
しゃくりあげるフュリーの肩にそっと手を添えた。
「フュリー…実はね。この子のラナという名は、ラーナ様からいただいたの」
「え…」
フュリーは驚いて顔を上げ、エーディンとその腕の中の赤ん坊を見た。
「反逆者の汚名を着せられたシグルド様とわたしたちを、ラーナ様は信じてくださり、
危険を承知でシレジアへ受け入れてくださった。
そしてわたしたちは、シレジアでとても満たされた時を過ごすことが出来た…。
わたしとアゼルにとっても思い出の地になったわ」
エーディンは目を閉じ、その気候とは裏腹に温かい記憶を残してくれた
シレジアの地を、まぶたの裏に思い描きながら呟く。
「それも全て、ラーナ様のご厚意があったおかげ。
…ラーナ様が亡くなったという知らせは、ここにも届きました。
この子はその後間もなく生まれたのだけど、ラーナ様のように深い慈愛を持った
心の強い子になってほしい…そんな願いを込めて、名づけたの。でも、貴方達
シレジアの民にしてみれば少し、あつかましいことかもしれないわね」
フュリーは胸を詰まらせながらも、強く首を振った。
「いいえ!!そんなことないです!!…嬉しい…です…ラーナ様もきっと、
お喜びになっていると…思いますっ…」
「…そう、良かった。ねぇフュリー、この子を抱いてくださらない?
そして、わたしにもフィーちゃんを抱かせてちょうだい」
柔らかく微笑み、そっと自分の子供をフュリーに差し出すエーディン。
「は…はい!」
フュリーもフィーをエーディンに手渡し、代わりにラナをフィー同様に優しく抱きかかえた。

エーディンよりやや赤みがかった金の髪はまるで夕日を透かしたようで、
ほんのりとうす桃色がさした白い肌によく映えている。母親から受け継いだ
トパーズの輝きを思わせる大きな瞳をぱちぱちとしばたかせながら、
フュリーに手を伸ばしてくる。その様が愛くるしくて、思わず手を近づけると、
小さな愛らしい手に指を握られた。
「ラナちゃん…わたし、フュリーよ。よろしくね…」
ラナはまるでフュリーの言葉に応えるように微笑を浮かべて笑い声をあげた。


医術の心得もあるエーディンの見立てでは、フィーには特に悪いところはないとのことだった。
フィーが何故あんなに泣いていたのか…その原因は不明だが、エーディンの言葉に、フュリーは
本当にそうかも知れないと思わずにはいられなかった。
「実はラナも、普段はあまり泣かないのだけど、今日に限ってずっと泣き止まなくてね…
なんとか寝かしつけようと外に連れ出したの。もしかしたら…二人が、わたしたちを
会わせてくれようとしたのかもしれないわね…」

エーディンは、ついでにオイフェたちにも会っていかないかとフュリーを誘ったが、
フュリーは少し考えた後、首を横に振った。会いたいという気持ちはあったが、
夜に空を飛ぶのは更なる危険が伴うため、日が暮れる前に戻る必要がある。
それにただでさえ遅くなったのだから、心配しながら待っているノイッシュと
セティのためにも一刻も早く帰らなければならない。
「オイフェさんに…伝えてください。わたしやノイッシュは、元気でいると…」
「わかったわ。オイフェは貴方たちのことをとても慕っていたから、きっと喜ぶと思います。
ねぇ、いつか…また会いましょうね」
「はい、きっと…!」
別れ際、二人は名残を惜しむようにもう一度強く手を取り合った。

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