入部特典・2

次の日の放課後、ぼくはカメラを持って天羽さんの後について行っていた。
校舎の外に出て、中庭を横切る。
――不思議なもんだな。
ぼくは学内新聞の愛読者だったけど、まさか読む側から作る側に回るなんて
思ってもみなかった。
しかも、特に強力な(いろんな意味で)記事を書く天羽さんのアシスタント
カメラマンだもんなぁ…こりゃ責任重大だぞ……
そんなことを考えていると、またもや大きなプレッシャーを感じて、少し足取りが
重くなってしまう。
「…あれ?」
ふと気付くと、前を歩いていたはずの天羽さんの姿がない。
「げっ!!」
やばい。ごちゃごちゃ考えてた間に先行っちゃったんだ!
――もう!ちゃんとついてきてよね!取材中にぼーっとするなんて
カメラマンとしての自覚が足りないんじゃないの!?――
ぼくの脳裏に、そんなことを言いながら怒る天羽さんが思い浮かび、
血の気が引いていくのが分かった。
「あ、天羽さん!天羽さ〜ん!!」
ぼくは慌てて駆け出し、彼女を捜した。
 

「天羽さ〜ん、どこ〜?…あっ!」
校舎裏で、ショートボブの後ろ姿を見つける。
「天羽さん!!」
急いで駆け寄り、声をかけた。
だが、彼女は返事もしなければ振り向きもしない。……どうしよう。やっぱり、
怒ってるみたいだ…。
「あの、天羽さん…ごめん!ぼく、ついぼーっとしてて…」
「上岡くん!」
ぼくの言葉を彼女の声が遮る。その口調は、張りつめているというか、
興奮してるというか…とにかく、怒っているという感じではなかった。
「ど、どうしたの?」
「早く!カメラ用意して!!」
顔は動かさないまま、少し小声でぼくに指示を飛ばす。一体何なんだろう?
ぼくは訳も分からずカメラを構えて天羽さんの隣に行くと、その視線の先を目で追った。
「…?」
彼女の人差し指を、何か小さな虫がよじのぼっていっていた。
「テントウムシ…」
「早く撮って!」
もう一度繰り返す天羽さん。
「う、うん…」
ぼくは急いで、――でもピントがずれないよう正確にシャッターを切った。
すると、ほぼ同時に天羽さんの指先に達したテントウムシは、音もなく羽を広げた。
「あっ…」
一陣の風が吹き抜ける。小さなテントウムシはそれに乗って、夕日で赤く染まり始めた
空に飛び立っていった。
その光景を、ぼくは純粋に美しいと感じた。
気が付くと天羽さんに頼まれたわけでもないのに、空に消えていく
テントウムシの姿にカメラを向けていた――。
 

「…はっ…!」
カシャッという自分のシャッターを切る音で我に返ったぼくは、反射的に天羽さんの
方を見た。

 

ドキン――!
 
彼女の表情を見たとき、ぼくの胸が大きく高鳴った。
彼女は…テントウムシの飛び去った空を見上げながら微笑んでいた。
それまで彼女の笑顔を見たことがなかったわけじゃない。
けれどこの時の笑顔は今まで見てきたものとは全く違っていたのだ。
“いつも凛と胸を張っているクールな優等生”の顔はそこにはなく、
自然で…純粋な“普通の女の子”の笑顔だった。
「上岡くん!見た!?」
彼女は声を高揚させ、ビックリするほどぼくに接近してきた。
そのため、今度は別の理由で胸が高鳴った。
「う、うん…」
「あのナナホシテントウ、わたしの指を一生懸命登っていったわ!
なんて可愛いのかしら!!」
「そっ…そう、だね…」
無邪気にはしゃぐ彼女を前に、ぼくは驚きを隠しきれないでいた。
同級生なのにずっと大人びてるイメージがあった彼女。
けれど今、目の前にいる彼女はまるで幼い子供のようだ。
これが……あの天羽さんなのか…!?
「はっ…」
ぼくが呆然としていることに気付いたのだろう。
彼女は慌てて2、3歩後ずさる。そして、顔を真っ赤にして目をそらした。
「…ごっ…ごめんなさい、わたし…虫が好きなの…それで、その…
虫を見るとつい、我を忘れちゃって…」
そうか。そういえば、彼女の書くコラムは、虫に関するものがほとんどだったっけ。
ぼくは、井之上に知らされるまでは、あのコラムを書いているのは上級生の男子か
顧問の先生だと思っていた。それが実は同級生の女子が書いているんだと
分かったときは心底驚いたものだ。その理由は、あんな硬派でしっかりした文章を
書いていたのが同級生だったからというのもあるが、何より“虫”への愛情に溢れた
内容を女の子が書いていたということが一番大きかった。
しかし、その時ぼくは、『女の子は虫が苦手』ってのがいかにバカげた偏見であるか
ということを、思い知らされてしまった。
――それにしても。
天羽さんがこんなにはしゃいで、照れて、慌てるなんて……な、なんだか…

 

――か…可愛いっ!!――
 

 

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