夕空の想い〔後編〕


「……ん…」
ラナが目を覚ますと、そこはテントの中だった。
「あっ、ラナ!気が付いたのね!?」
傍らに座っていた少女が、目を輝かせてラナの顔を覗き込んできた。
さらりと銀の髪がラナの頬にも流れてくる。
「ユリア……わたし…一体…」
未だ虚ろな意識の中、ぼんやりしながら尋ねると、ユリアの表情が
今にも泣き出しそうに変化した。
「ラナ…どうして前線になんて行ったの?わたしも後から聞いたのだけど…
貴方、もう少しで殺されるところだったのよ?」
「…前線……?そう、だったの…」
夢中で逃げるうち、いつの間にか激戦地の方に向かっていたのだとラナはその時理解した。
だからあそこにセリスがいたのだ、と…。
「ごめんなさい、ユリア。実はね…」
ラナは上体を起こすと、今に至るまでの経緯をユリアに説明した。
だが、セリスに助けられたという部分は明かさなかった。
口にしたことはないが、その態度でセリスに想いを寄せていると推察される
ユリアには…知られてはいけないと思ったのだ。そして―――自分が
同じ想いを抱いているということも、決して気づかれてはならないと
ラナは常に自分に言い聞かせていた。
「そうだったの…。でも、本当に無事でよかった!
みんな心配していたのよ。セリス様も…」
「えっ…」
ユリアが口にしたその名前に、ラナの胸は大きく高鳴る。セリスが自分の身を案じて
くれているということへの喜びと、もしやユリアに自分の想いを気づかれているのでは
という恐れを同時に感じたのだ。
「ラナ、セリス様を悲しませないでね。貴方はセリス様の大切な幼馴染なんだから」
ユリアの言葉に、ラナは安堵した。ユリアはラナの気持ちに気づいているわけでは
ないようだ。同時に、一抹の寂しさも感じた。
―――そうね…優しいセリス様は、誰であっても…わたしでなくてもああして助けて
くれただろうし、心配もしてくれるわ。セリス様にとってのわたしはただの幼馴染…
それ以上でも、それ以下でもないはず…何を浮かれているのかしら、わたし…―――
「ユリア…?」
ユリアが自分の手を強く握った感触によって、ラナは我に返る。
「わたしだって…すごく心配したんだから…。
貴方がいなくなったらと思うと、わたし…」
見ると、ユリアはアメジストのような瞳に涙をためていた。
「ユリア…」
胸が熱くなるのを感じ、ラナもユリアの手を握り返した。
「ごめんね、ユリア…ありがとう…」
自分は素晴らしい友に恵まれた。ラナはそう実感していた。同時に、
その友に隠し事をしていることへの罪悪感がラナの胸を締め付けた。
―――だけど…貴方に知られるわけにはいかない…―――
ラナがセリスへの想いをひた隠しにするのは、いくつかの理由がある。
その中で特に大きいものの一つが、知られることによってこの少女との友情に
亀裂が走りはしないか…という不安なのだ。

「じゃあわたし、ラナが気が付いたことをみんなに知らせてくるわね」
「あっ、ユリア…わたしが自分で行くわ」
起き上がろうとすると、ユリアの手に優しく押し戻される。
「駄目よ、もうしばらく安静にしていて」
「でも…」
「いいから」
「…分かったわ。ありがとう、ユリア…」
ラナは大人しく、友の厚意に甘えることにした。手を振って出て行くユリアに
微笑んで手を振り返すと、再び横になり、目を閉じた。
やがてうつらうつらと、夢の世界に旅立ちかけた時…
「ラナ!!ラナ、大丈夫かい!?」
早足の音が近づいてきたかと思うと、何者かが勢いよくテントに駆け込んできた。
「…セ…セリス様…!?」
ラナは突然の来訪者とその正体に驚き、再び起き上がった。
「あっ、もしかして寝てた!?ゴメン、起こしてしまって…」
「い、いえ…大丈夫です…。それより、どうされたんですか、セリス様…」
ラナは立ち上がり、おずおずと尋ねる。
「どうしたじゃないよ!ラナが気がついたって聞いたから様子を見に来たに
決まってるじゃないか!!」
セリスの言葉に、ラナは全身が熱くなるのを覚えた。
紅くなっているであろう顔を見られないように、反射的に俯く。
「…あの……ありがとうございます、セリス様…助けてくださって…
ご迷惑をおかけして、本当にすみません…」
「何言ってるんだ、ラナ!ユリアから話は聞いたよ。
良く頑張ったね…。…本当に、無事でよかった…」
セリスの大きな手が、ラナの柔らかい夕焼け色の髪を優しく撫でた。
ラナは早鐘のように打つ鼓動を抑えるように、胸元で両の拳を握る。
「君にもしものことがあったら…ぼくは……」
「えっ…」
頭一つ以上上から降ってきた小さな呟きに、ラナは思わず顔を上げる。
「あっ…いや、なんでもない!!と、とにかく、ゆっくり休むんだよ?ラナ」
セリスの顔はラナと同じぐらい紅潮していたが、
「は、はい…」
自分の表情を見られまいと必死だったラナに気づかれることはなかった。

「どうやら、わたしの出る幕はなさそうだな…」
ヨハンはひとりごち、口元に微笑を浮かべる。
そして音を立てないようにそっと、テントから離れた。
ヨハンもラナを心配していた友の一人として様子を見に来たのだが、先客がいたため
なんとなく入るタイミングを逃し、二人のやり取りの一部始終を目にすることとなったのだ。
それによって、ヨハンは悟った。ラナが想いを寄せているという人物が、誰だったのかということを。
―――ラナ君…例え君の願い通り、誰も怪我をしないなんてことが実現したとしても、君は
お荷物なんかになりはしないよ。君の存在が、我らの指揮官にどれほど力を与えていることか…―――
セリスがラナを助けた時、ヨハンも近くで戦っていた。そして見たのだ。
敵に追われるラナを見つけた時の、セリスの表情の変化を。恐るべき力を。
―――それにしても、羨ましいよ。君は既に、愛する人と想いが通じ合っているのだからね…
もっとも、お互いそのことに気づいていないようだが―――
「ヨハン、こんなとこで何してるの?」
呼ばれて振り向くと、そこにはヨハンが愛してやまない少女が腰に手を当てて立っていた。
「おおっ!!我が愛しのラクチェ〜!!」
「ちょっと、やめてよ!!」
ヨハンがいつもの調子で駆け寄ると、ラクチェはやはりいつもの調子でつっけんどんな態度を示した。
「あたしはラナの様子を見に来たんだから、邪魔しないで!」
「ラクチェ、それこそ邪魔というものだよ。ラナ君は今、セリス公子と二人でいるのだからね」
「えっ…セリス様と…!?…そっか…」
ヨハンを押しのけてラナの元へ向かおうとしていたラクチェは、その言葉に足を止める。
ラナがラクチェのシャナンへの想いを知っているように、ラクチェもまた、ラナのセリスへの
想いをよく理解しているのだ。
「しょうがない、後にするか」
ラクチェはふっと微笑んでため息を一つ。くるりときびすを返した。
「ではラクチェ、わたしとデートしようではないか!」
ラクチェの後を追って横に並び、甘い言葉をささやくヨハン。
「し・な・い!剣の稽古でもするわ」
「それなら、わたしも付き合おう」
「貴方ね…斧であたしの剣に勝てるわけないでしょ!?」
足を止めて、ラクチェは大きなため息をついた。
「いいや、やってみなくては分からないぞ!?」
「…それ、本気で言ってるの?」
「もちろんだとも!」
ヨハンは真剣なまなざしで、ラクチェを見つめる。ラクチェはそれに対し
やや冷めた視線を返していたが、やがて吹き出してしまった。
「…もう、しょうがないな。そこまで言うなら手合わせしてあげるわよ」
「ラクチェ…!!」
ヨハンの表情が見る間に輝いてゆく。

―――わたしもきっと君のように、愛する人と想いを通じ合わせて見せるよ、ラナ君。
見た目だけでなく、心身共に強い男になって…ね―――

空は一面、ラナの髪の色に良く似た夕日に染まっていた。

前編へ/あとがきへ

戻る